ひとみ



ひとみさんは、玄関に上がるなり、そのまま立ち止まった。
ボクは彼女に問いかけた。

「どうしたんですか、ひとみさん?」

ボクの言葉に、彼女は俯いたまま小さく頷いた。

なんだ?
へんなの。

ボクは手持ち無沙汰に彼女を見つめていた。

「あの、ひとみさん?いったい何を忘れたっていうんですか?」

膠着状態に嫌気が差し、ボクは再び彼女に訊いた。

「あのね、駿平君」

ひとみさんはそう言いながら顔を上げた。
そして、美しく濡れた瞳でボクを見つめた。

「わ、私ね、私ね、じ、自分の、き、気持ちを、ここにね、置いたままだったの、置き忘れた、まま、だったの」

囁くような声で彼女は言った。

「えっ?自分の気持ちって?」

ひとみさんの言葉の意味が理解出来なかったボクは彼女に訊き返した。
ひとみさんは少しだけ笑みを浮かべた。

「相変わらずね、駿平君」

彼女の笑顔はより優しくなった。
その笑顔に、ボクは体の中から湧き立つ喜びを感じた。
そして、改めて思い知らされた。
好きな人の笑顔って、嬉しいのに切なくもなってしまう。
どうしようもなく、胸が苦しくなる。


「私ね、駿平君、キミの、ずっと、キミの、そばに、いたいの」

そう言った彼女の瞳はまっすぐボクを見つめ、やがて水の膜に覆われていった。

「これが、正直な、今の私の気持ちなの」

そう言いながら、彼女は再び俯いた。

「ただ、これって私の一方的な気持ちの押し付けだよね。駿平君が、私みたいな年増はイヤとか、ワガママ女の相手なんかしてられるか、って思ってたら、迷惑な話だもんね。散々、今までも迷惑かけてきたしね」

彼女の瞳から水滴が床にポタリと落ちた。
ボクはそれを見て胸が苦しいほど熱くなった。

「でもね、このまま駿平君に、自分の気持ち伝えなかったら、一生後悔する、と思って、ゴメン、ね」


その、ひとみさんの言葉に、ボクは自分の体の中で何かが弾ける音を聞いた気がした。