久々に、自分の感情をコントロールできなかった。

そんな自分にあきれつつ、国王は自分の腕の中でおとなしくしている王妃の優しい香りに目を閉じた。

弟と彼女が知り合いなのは何となく知っていた。

彼女が昔から身を寄せる…彼女の父親の元に弟は下宿しているのだ。昔、自分がそうしていたように、弟も下宿しているのだから彼女とも交流がある…それは想像に易い。違う点といえば彼女がきちんと記憶しているかどうか、というところだが。

自分に名前を呼ぶ権利も資格もないことも分かってはいる。けれど。名を呼び、告白する権利が自分にあればどれだけ良かっただろう。近頃、気づけばそう思ってしまうのは、おそらく良い変化とは言えない。自分が国王という立場ではなかったら。弟と立場が逆なら。国王という地位を捨てられたら…。不毛なことを考えては首を振るようになったのはいつからだっただろう。

自身に自問し、けれど答えは出てこない。

彼女の父の元に身を寄せ、彼女に出会い、そして同じように時を重ねてきた。人間らしい感情を彼女に教わり、”楽しい”ことを共に見つけ、剣を合わせ…。どれだけ濃い時間を彼女と重ねただろう。空っぽの、色のついていない自分の人生において、彼女との時間だけが唯一色のついた時間だというのに。

その彼女の思い出に自分は存在していない、それに気づいたとき、今までに味わったこともないほどに胸をえぐられるような感覚を味わった。もう自分の知る彼女ではないのかとあきらめ、けれど昔と変わらない彼女がいるのだと実感するたび、むなしさと悲しさに襲われた。

「……陛、下……?」

困ったような彼女の声が耳をくすぐる。昔より大人びた声に、表情に、体に、、、こんなにも胸が苦しいのは、ここ数年で捨てたと信じていた感情がまだ存在していたのだという証拠で。

「………」

エルに告白され、お前はそれに応じたのか?
エルと共に行くのか?
もう、お前の気持ちはエルにしかないのか…?
どこにも行かないでほしい。ずっとここに…

言いたいことは山ほどある。

言いかけて口を閉じるのは、言ってはいけないという自覚があるから。

自分の都合で彼女から離れ、自分の都合で別の人間を娶るのだ。それは確実に国王自身の問題で、彼女を縛り付けて良いはずもない。

それがわかっているから。伝えてはいけないのだ。自分に愛を囁く権利があるはずもない。

自分にそう言い聞かせ、国王は自分の気持ちにふたをする。

そして泣きそうになりながらも明るく笑う彼女に気づかないふりをして必死に笑みを浮かべるのだ。

「俺の見ていないところで、危ないことをするな」

これが限界だ。

心の中で溜息を吐き、そして彼女から離れる。

頭をそっと撫でて笑って見せた国王は、彼女の返事を聞く前に部屋から出た。

これ以上、近づくわけにはいかないのだ。