お城に戻った私は王妃様の普段着らしいドレスに着替えた。背中の真ん中まで伸びる無駄に長い髪は三つ編みにして背中に流し、一応薄くお化粧もした。我ながら完璧にミレイだ。

私が着替えたのは他でもない。陛下の執務室に行って何か手伝えることがないか聞くためだ。書類の整理は手伝えないかもしれないけど、何かできるならやりたい。

けど執務室に行くまでに誰に会うかわからないし。だから仕方なく窮屈なドレスに着替えた。

そして私は陛下の執務室付近でとんでもないものを聞いた。

半分ほど開いた扉から漏れるのは冷たい陛下の声。

「これで改善されると本気で思っているのか」

「ですがこの策なら陛下の威光を示し「そんなものが必要だと誰が言った。私がお前に求めたのは改善策だ。首をつなげておきたいなら良い策を練ってくることだ。嫌ならこの場で首を落としてやるが」」

怒りに任せて感情的に言うならまだいい。怒っているのだと分かるから怖いと感じても我慢できる。

けれど陛下のあの冷たい目で睨まれ、一切感情のこもらない声で淡々と言われたら…私なら倒れるかもしれない。

超怖い。

怒られたらしい貴族の人は必要な挨拶だけするとすごすごと逃げていった。

そういえばアルフレッド陛下はすごく良い王様として有名だけど同時に冷酷非道と恐れられてると聞いたことがある。

あぁ。こういうことか。

私は開きっぱなしの扉の隙間から中を覗いてみた。無表情な陛下が冷たい目でこちらを見ている。多分私には気づいてないと思うけど、部屋の空気が異様に悪い。

ストレス解消くらいなら私でも手伝えるかもしれない。剣合わせとかなら陛下もストレス解消できるんじゃなかろうか。

「随分お疲れのようではないか、アル」

執務室の中の扉の一つが音を立てた、と思えば部屋の中に陛下のものとは違う声が響いた。というか私のよく知る、あの男の声だ。どうしてこのお城にいるのだろう。

ああ、そういえば陛下から見れば一応“叔父”にあたるんだっけ。

「そうですね…。貴方がいると休まりません」

意外なことに敬語を使って陛下は嫌味を我が父に向けて放った。当然ながらそれは父には逆効果だ。

「ははっ。ストレスを王妃で発散することは考えないのかい?」

「なっ」

思わず声をあげそうになった私は後ろから口を塞がれた。そこにはソラの姿があり、楽しそうにシーっと唇に人差し指を当てている。

「…妃は道具ではないでしょう」

「道具、というより…王妃の方も求めてるんじゃないか?お前のことだからまだ手は出していないのだろう?そういうコトに飢えてるんじゃないか?」

分かっていたことだが我が父は本当にデリカシーってものがない。ものすごく余計なお世話だ。

でも考えてみれば陛下はミレイ相手だったら毎晩でもそういうこともできていたはず。

そう思うと申し訳なくなってきた。だからと言って私が陛下とそういうことをするわけにはいかないんだけどね。

…てか、求めてないっつーのっ!今のミレイが偽物だって知っててそれを言うのかバカ親父ぃ!

私は今猛烈に叫びたい。

「飢えてはいませんよ。今は今で楽しいので。そんなことを言いに来たんですか。分かってはいましたが貴方も大概物好きですね」

どうしよう。陛下のお言葉が嬉しすぎる。楽しいって!楽しいってよ!

「はははっ。そんな訳ないだろう。僕は可愛い可愛い甥っ子がどれだけ頑張ってるかを確認しに来たんだ。結婚もするというしね」

「…何が言いたいんですか」

言葉にトゲを感じたのか、陛下が父の言葉に反応したように声をあげた。陛下の声が一層低くなった。

今、私は中の様子を覗いていないから声が聞こえるだけだけどピリッとした空気なのは痛いほど伝わってくる。


「今まで、縁談という縁談は上手く避けていたのにお前は第一王女を娶るという…。もう吹っ切れたんだね?彼女のことは、諦めたんだ?」

挑発するような口調のくせに、声だけはひどく冷たかった。父のそんな声を聞くのは初めてで、背中が凍りつくような感覚を覚える。

「…私は国王ですよ。この国のために生き、死ぬのが道理でしょう」

感情のこもらない陛下の声。陛下は出自故に自らの願望を諦めてしまうのだろうか。なんだか寂しい。

「それではお前も、彼女も…そして王妃も幸せにはなれない」

「彼女はどうだかわかりません。あんなのは恋愛の真似事だ。私が彼女に気持ちを伝えたから、彼女も私を大切だと言ってくれたに過ぎませんよ」

陛下にしては珍しく自嘲気味な言い方だった。

話から察するに陛下には大切な女の子がいた、ということだろう。女の子の方も陛下のことを大切だと言ってくれた。今は会えないけど、陛下はその子のことを今でも忘れられない…。

なんだか悲しいお話だ。両想いなのに会えないなんて。

「今のお前はだいぶ融通がきく地位にある。時間に余裕もあるはずだ。なぜ会いにいかない?国のために結婚し、王妃に対する同情だけで優しくする。誰が幸せになる?」

「…」

陛下は黙ったままだった。

「自分の好きな女は諦めて王妃に同情の愛を注ぐか…」

「妃には…ミレイには誠実であろうと努力はしてますよ」

「ふむ。僕はどうやらお前を買いかぶりすぎていたようだ。お前は女心のわからない大馬鹿者だったらしい。誠実であれば全て許されるか?自分が同情で愛を注がれてると気づいた王妃はどんな惨めな気分になるだろう。見ものだね」

「…ふっ」

突然陛下が笑い声を上げた。自嘲めいた冷たい笑い声だ。

「貴方らしくもない。何をそんなに熱くなっているんですか」

「…」

今度は父が黙る番だった。陛下は冷たい声で続ける。

「私と妃がどうであれ、貴方には関係のない話だ。そこまで熱くなる理由がわかりませんね。…貴方が私に必死に隠していることに関係があるのでしょうか?…ではこんなのはどうでしょう。ミレイはシャーレット女王レイラ殿と貴方の子…そうなれば貴方にはミレイの幸せを祈る理由ができますね」

陛下の言う意味が私にはわからなかった。どういうことだろう。ミレイの父親が誰か公表されてないと言うこと?

ていうかなんで私がその事実を知らないの?

訳が分からなくなってきた。

「アル…お前は…」

「深く追究するつもりはありません。……妃の出自も、貴方の秘密も……私的には知らなくても良いことだ」

冷たく言い放たれ、私はなんだか酷く悲しくなった。私のこともどうでも良いと言われているようですごく寂しい。

私が勝手に陛下と少し仲良くなれたつもりでいただけで、陛下にとってはそうでもなかったらしい。陛下からすれば私との夫婦ごっこという茶番に付き合っていただけなのだろう。

私はバカだ。楽しいと言ってもらえて浮かれて…。私はその場に力なく佇むことしかできなかった。