緊張か、不安か…。そんな感情を抱えての移動はあっという間だった気がする。

陛下に連れられ、宮殿に入り、女官たちに着替えさせてもらって…記憶はあるけど気持ちがついてこない。

今私は皇太后様がいらっしゃるという部屋の扉の前にいる。

ミレイの好みの淡いピンクのドレスに身を包み、背中の真ん中程まである髪を一つにまとめて結い上げ、好きではないお化粧をして…気分はあまり良くない。

せめてドレスが私好みのブルーのドレスなら頑張れたのに…なんて現実逃避をしたくなるくらいに緊張してる。

それでも陛下とミレイの顔は潰せない。

覚悟を決めて顔を上げると、陛下は無表情で隣にいた女官に促す。女官は小さく頷くと扉を軽くノック。

「皇太后様…アルフレッド様とミレイ様がいらっしゃいました」

「どうぞ」

中から凛とした声が聞こえた。扉が開き、おそるおそる踏み入れた先には豪華な部屋が広がっていた。

その中心に、皇太后様がいらっしゃる。

陛下と同じ淡い金の髪を結い上げ、ブルーの瞳を愉快そうに細める彼女は思わず息をのむほどに綺麗だった。

「そこにかけて下さい」

口調は丁寧。けれど目が怖い。細められているのに怖い。

でもこの感覚を私は味わったことがある気がする。

陛下に手を引かれ、皇太后様の前にやってきた私は卒倒しそうになった。ちゃんと布の敷かれた豪華な椅子と、何も敷かれていない質素な木の椅子…このふたつが並べられていたから。

どう考えても木の椅子は妃用だ。歓迎されていないに違いない。そもそも陛下に質素な椅子に座らせるわけにはいかない。

「相変わらず悪趣味ですね、貴女は。…ミレイ、こちらに」

陛下は私に豪華な椅子に座らせようとする。ミレイなら甘えるかもしれない。けど私は無理だ。

「いいえ、陛下。わたくしはこちらに座らせていただきます。…お心遣い痛み入ります」

やんわりと断り、木の椅子に座る。セレストのマナー教本は子供の頃一度読んだきりであまりおさらいしてない。正直心配だけど頑張るしかない。とりあえず姿勢を正し、皇太后様が口を開くのを待っておく。

「その色…」

皇太后様は怪訝そうな顔で私を見た。

「その色は貴女には薄過ぎます。もっと濃くするか、青系になさい。その方が貴女には合います」

いきなりのドレスへのダメ出し。私、まだきちんと挨拶してないのに。

「申し訳ありません、皇太后様。おっしゃる通りにいたします」

ミレイの趣味なのに!ミレイの趣味なのに…ミレイ趣味なのに…っ!

私は今、猛烈に叫びたい。怒鳴りたい。もちろん我慢して、軽く俯いて悲しそうにするんだけど。

「それと胸元が開きすぎです。はしたない。それでは未婚の女性のようですよ。公式の場に出るときはきちんと首まで覆いなさい」

「申し訳ありません。おっしゃる通りにいたします」

だって女官たちがこのドレスを着せたんだもの!

開きすぎって言っても鎖骨が少し見える程度じゃない!って叫びたい。

皇太后様なんて下手したら豊満なお胸の谷間まで見えそうなのに!

「…母上、そろそろきちんと挨拶をしたいのですが」

皇太后様が一息ついたところですかさず陛下が口を挟んだ。

助かった…。

「そうですね…」

陛下と皇太后様の視線がこちらに向く。私は姿勢を正し、真正面を見据えた。

「シャーレットが第一王女…ミレイ・オストノア・シャーレットにございます。以後「70点」」

突然のダメ出し。所作だろうか。それとも言葉遣い?70点て…どう考えてもイマイチだよね?まさか200点満点なんてことはないだろうけど…。

「随分な所作だこと」

扇子で口元を隠し、皇太后様は言い切った。

ミレイだったら泣き出すに違いない。まあミレイなら指摘なんてされないんだろうけど。

それより、なんだかデジャビュだ。この感覚、やっぱり私は知ってる。

私は改めて皇太后様を見た。そして気づく。とてつもなく美人だけど、愉快そうに細められた青い目といい…他人を試すような態度といい、喋り方といい…うちの父だ。うちの父に似てる。

そして私はそんな意地の悪い人に対してどのような態度をとれば良いか知ってる…。この人の満足する回答を私ならできる。

私はこっそり息を吸った。そして小さく息を吐くとまっすぐ皇太后様を見据えた。

「皇太后様、図々しいのを承知で申し上げます。わたくし、これでもマナー教師の合格をいただいております。ですがそれでは皇太后様のお眼鏡には適わないとのこと…。ですので…教えていただけませんか、美しい所作がなんたるか…。わたくしはアルフレッド様に釣り合う立派な淑女になりたいのです」

皇太后様は無言で私を見つめていた。その沈黙が、今の私にはひどく怖かった。