悲恋哀歌-熱恋-

ここからは無駄話や悪ふざけなどしている暇はない。
妖魔や猛獣達は、多少の音にも敏感に反応し、襲い掛かってくる。
そうなっては、戦闘は免れない。
「いい?これからは、息をするのにも気を使わなきゃならない。辻はわかっていると思うけれど、波之助。貴方も心してね」
「わかったよ。息をしなければいいんだね?」
「えぇ、できれば頂上につくまでそうしててもらいたいわ」
「え、いや...冗談なんだけど」
「波之助、頑張れ?」
そして、急斜面を頂上へ向かって歩き出す。
虫除けの数珠のおかげか、無視などは寄り付かず、スムーズに足を進めることができる。
妖魔や猛獣などに遭遇しなければ、ただの登山と一緒。
静かなものね。
でも、油断するわけにもいかない。
何があるかわからないのが村外の怖さだ。
それに、日が暮れる前に元来た道を戻らなければ、あの道で妖魔や猛獣との戦闘はなるべく避けたい。
私一人ならなんとか、切り抜けられても、辻や波之助を庇いながらなんて到底無理だ。
「あと、どれくらいで頂上につくんだ?」
「んー、僕も登るの初めてだからなー。凪はここに登ったことあるのかい?」
「昔、お母様と登山できたことはあるわ」
たしかあの時、大量の妖魔の群れに襲われて、お母様が「村正」で妖魔達を闇雲に斬って斬って、斬りまくってたわ。
「相変わらず、君のお母さんはおっかないね」
「あの親にしてこの子ありって感じだな」
「うるさいわね。それより、もうすぐ頂上よ。ここからはもっと慎重に進まないと。ここら辺は、妖魔よりも猛獣達が住処にしてる巣が多いから、少しの物音も禁物よ」
「わかった」
波之助に合わせ、辻も頷く。
このまま、頂上まで何事もなく辿り着けられればいいのだけれど。
陽はまだ出ている。
この調子なら、日没までには村に帰れそうだ。
しかし、少しでも危険を侵して猛獣の多い方の道を選んだのだけれど、これが吉と出るか凶と出るか。
この山には頂上まで行く道が二つある。
一つは、比較的猛獣や妖魔が少ない、安全な道。
普通の登山客もよく登山に使う道で、伝説にも語り継がれている醉龍の滝が流れている。
そして、もう一つの道が今私達が登ってきたこの道。
この道は、妖魔や猛獣の数が非常に多く、登山客が歩くことはほとんどない。
もちろん、できれば私もこの道を選びたくはなかったのだが、醉龍の滝には少し嫌な思い出がある。
どんな思い出だったのかは、あまり覚えてはいないのだけれど、何故か、あっちの道は歩きたくなかった。
そして、もうすぐ頂上が見える。
一時間と少し。
まあ、ここまで一度も妖魔や猛獣に遭遇しなかったのが幸いか。
「この坂を登れば頂上よ。最後まで気を緩ませずに行くわよ」

私の静かな声に、二人共頷く。
足音も、静かに一歩一歩、坂道を登り、歩く。
かなり長く作られたこの坂道は、向こうの道を選んでいても同じで、猛獣の巣に囲まれている。
もし、猛獣と遭遇するとなればこの坂道が一番に考えられるだろう。
きっと、向こうの道を選んでいてもだ。
そして、急斜面を登りきったところに、お目当ての茶葉が咲く、広い平原が見えてきた。
「ふぅ...、着いたわね」
「やっとかよー...あぁ、疲れた...」
「いやぁ、僕のためにありがとね、ほんと助かったよ」
まだ、安心するには早いわよ。
これから、下山しなければならないのだから。
「わかってるけど、ひとまずね」
「それにしても、綺麗だなぁ。まるで茶畑みたい」
「一応、茶畑なんでしょう」
平原一帯を埋め尽くす量の茶葉。
緑生い茂る、山森に囲まれた頂上に咲く茶葉は、太陽の光に照らされ、どこか幻想的。
今度は、辻と二人で...、なんてね。
「波之助、早く取って帰ろうぜ。もう山は懲り懲りだぜ」
「あら、そう?まだいいじゃない。もう少しいましょうよ」
「えー、まじかよー...」
どうやら、もうここへは来そうにないわね。
もう、波之助の依頼でもここには来ないわ。
「えー、そんな...」
「だからね、もう来なくてもいいよう、たくさん茶葉を取っていけばいい。そうでしょ?」
「そういうことなら、私も手伝うぜ!」
陽がくれるまではもう少し時間がありそうだ。
幸いにも、波之助はとても大きい茶積み籠を背中に背負っていることだし、早く帰って夕食を食べたいわ。
「ははっ、凪はほんと食べることしか頭にないよなー」
コロコロと無邪気に微笑む辻を見つめ、時間が過ぎるのを感じた。