玄関。
そこに並ぶ靴は見慣れないものだった。
まさか、辻が帰ってきている?
そんな期待を抱き、客間に顔を出せば期待外れだったらしく、そこにいたのは波之助だった。
「貴方、人の家で何してるの?」
「やぁ、ちょっと凪が心配になったんだ」
苦笑を浮かべ、頬を掻きながら口にする波之助。
そんなんで不法侵入が許されるなら役人なんていらないと思うのだけれど。
「まあ、その通りだね。それより、さっき見つかった死体、その...」
いいわよ。
気を使う必要なんてない。
責めたいなら責めればいいじゃない。
「いや、責める気は無いんだ...」
じゃあ何?
馬鹿にしに来たわけ?
「違うよ、さっきも言ったろ?心配になったから来たんだ」
慰めかなにかなら結構よ。
同情は嫌いだから。
「...同情なんかじゃない。ただ、君が心配なんだよ、凪」
「心配されるようなことはないわ」
私より、貴方の方がよっぽど心配よ。
そんなお人好しで、すぐに騙されるわよ。
「ははっ、お人好しか。確かにそうかもしれないな」
何がおかしいのか波之助の顔に笑みが浮かぶ。
その笑顔、止めなさいよ。
鳥肌が立つ程気持ち悪いわ。
「いや、すまない。まさか君にお人好しと呼ばれるとは思っていなかったから」
それ、どういう意味よ。
それじゃまるで、私がお人好しみたいじゃない。
馬鹿らしい。
そんなわけないでしょ。
「いや、君はお人好しだと思うよ。彼の恋人、探しに行くんだろう?」
「...たまたま、姉様の依頼と同じだから、ついでよ。ついで」
変な誤解しないで。
私は、引き受けた依頼しかこなさない。
それにね、このまま放っておけば、辻まで危ない目に合うかもしれないでしょ。
「素直じゃないね。そこも、君の魅力だけど...」
フッと含み笑いをしながら、立ち上がる波之助。
小さく私に近づき、目が合う。
「ほんとは、行って欲しくない。でも、君も仕事だ。僕の我儘で止めるわけにはいかない。だから、僕にできることがあったら、何でも言って欲しい」
その声はどこか寂しそうで、その顔はとても真剣だった。
いつもなら、茶化して終わらせるのだが、今回ばかりは少し逞しくて、格好よかったんじゃないかしら。
少し、見直したわ。
「わかった。じゃあ、一つ頼みごとをしていいかしら」
「あぁ、何でも言ってくれ」
もし、もしも。
今回の依頼で、私がここに帰ってくることがなかったら。
辻には、この村を出て、遠くに行ったと伝えてほしいの。
「え...?な、なにを言っているんだ。それってつまり、」
「私が死んだときの話をしているの」
顔色一つ変えない私に、波之助は黙って俯く。
しばらく、互い言葉を発することなく、沈黙が続く。
波之助は言葉を探しているように口をパクパクと、開閉していたが、どうやら、言葉が見つからないらしい。
「大袈裟に思えるかもしれないけれど、約束して」
「...わかった。でも、どうしてそんなことを。君が死ぬなんて、今回の依頼はそんなに危ないものなのか?」
わからない。
でも、すごく嫌な予感がするのよ。
これが、ただの誘拐や殺人ならどうってことないの。
でもね、なんだか、ただの失踪事件じゃない気がする。
「どういう意味だい、それは」
「勘だけど、この事件には妖魔や猛獣が関わっている気がする」
私の言葉に浪之助は口を開くことがなかった。
私の勘は昔からよく当たる。
それは、波之助も良く知っていることだ。
貴方の言いたいことはわかっている。
きっと、行くなって言いたいのでしょう?
「...そりゃ、勿論」
これでも、妻だからね。
でも、行くわ。
これが私の罪滅ぼしよ。
「...そっか。もう止めても無駄なんだな」
「えぇ、止めても無駄」
私が強情なのは、夫である貴方がよくわかっていることでしょう?
話はこれで終わり。
私は明日から村外へ向かうわ。
朝早いから、もう寝る。
「一つだけ、お願い聞いてくれるかい?」
波之助を玄関まで見送ろうとしたときだ。
先程の真剣な表情で私を呼び止める。
何かしら。
「今日は、ここに泊めてくれないか?」
「.....」
「変な意味じゃない。ただ、もし君が明日死ぬのなら、一度でいいから夫婦共に、眠りたい」
駄目かい?
そんなふうに訪ねる視線。
波之助がこんなことを言い出すのは初めてだ。
結婚してから、確かに一度も夜を共にしたことはない。
でも、でもね。
「私は、帰ってくるから安心しなさい」
貴方や辻を残してはいけないもの。
でも、さっきの約束は絶対に守ってね。
万が一ってことがあるかもしれないし。
波之助の顔から雲が消えることはない。
「ほら、帰って帰って。明日は早いのよ。おやすみね」
何も言うことのない波之助を家から追い出すように玄関の外へと追いやった。
抵抗することなく、波之助は家から出ていったが、その顔は何処か暗く、今にも泣きそうな顔だった。
「...弱虫ね。ほんと、泣き虫」
その声は、私以外誰もいなくなった家にポツリと響いた。
そこに並ぶ靴は見慣れないものだった。
まさか、辻が帰ってきている?
そんな期待を抱き、客間に顔を出せば期待外れだったらしく、そこにいたのは波之助だった。
「貴方、人の家で何してるの?」
「やぁ、ちょっと凪が心配になったんだ」
苦笑を浮かべ、頬を掻きながら口にする波之助。
そんなんで不法侵入が許されるなら役人なんていらないと思うのだけれど。
「まあ、その通りだね。それより、さっき見つかった死体、その...」
いいわよ。
気を使う必要なんてない。
責めたいなら責めればいいじゃない。
「いや、責める気は無いんだ...」
じゃあ何?
馬鹿にしに来たわけ?
「違うよ、さっきも言ったろ?心配になったから来たんだ」
慰めかなにかなら結構よ。
同情は嫌いだから。
「...同情なんかじゃない。ただ、君が心配なんだよ、凪」
「心配されるようなことはないわ」
私より、貴方の方がよっぽど心配よ。
そんなお人好しで、すぐに騙されるわよ。
「ははっ、お人好しか。確かにそうかもしれないな」
何がおかしいのか波之助の顔に笑みが浮かぶ。
その笑顔、止めなさいよ。
鳥肌が立つ程気持ち悪いわ。
「いや、すまない。まさか君にお人好しと呼ばれるとは思っていなかったから」
それ、どういう意味よ。
それじゃまるで、私がお人好しみたいじゃない。
馬鹿らしい。
そんなわけないでしょ。
「いや、君はお人好しだと思うよ。彼の恋人、探しに行くんだろう?」
「...たまたま、姉様の依頼と同じだから、ついでよ。ついで」
変な誤解しないで。
私は、引き受けた依頼しかこなさない。
それにね、このまま放っておけば、辻まで危ない目に合うかもしれないでしょ。
「素直じゃないね。そこも、君の魅力だけど...」
フッと含み笑いをしながら、立ち上がる波之助。
小さく私に近づき、目が合う。
「ほんとは、行って欲しくない。でも、君も仕事だ。僕の我儘で止めるわけにはいかない。だから、僕にできることがあったら、何でも言って欲しい」
その声はどこか寂しそうで、その顔はとても真剣だった。
いつもなら、茶化して終わらせるのだが、今回ばかりは少し逞しくて、格好よかったんじゃないかしら。
少し、見直したわ。
「わかった。じゃあ、一つ頼みごとをしていいかしら」
「あぁ、何でも言ってくれ」
もし、もしも。
今回の依頼で、私がここに帰ってくることがなかったら。
辻には、この村を出て、遠くに行ったと伝えてほしいの。
「え...?な、なにを言っているんだ。それってつまり、」
「私が死んだときの話をしているの」
顔色一つ変えない私に、波之助は黙って俯く。
しばらく、互い言葉を発することなく、沈黙が続く。
波之助は言葉を探しているように口をパクパクと、開閉していたが、どうやら、言葉が見つからないらしい。
「大袈裟に思えるかもしれないけれど、約束して」
「...わかった。でも、どうしてそんなことを。君が死ぬなんて、今回の依頼はそんなに危ないものなのか?」
わからない。
でも、すごく嫌な予感がするのよ。
これが、ただの誘拐や殺人ならどうってことないの。
でもね、なんだか、ただの失踪事件じゃない気がする。
「どういう意味だい、それは」
「勘だけど、この事件には妖魔や猛獣が関わっている気がする」
私の言葉に浪之助は口を開くことがなかった。
私の勘は昔からよく当たる。
それは、波之助も良く知っていることだ。
貴方の言いたいことはわかっている。
きっと、行くなって言いたいのでしょう?
「...そりゃ、勿論」
これでも、妻だからね。
でも、行くわ。
これが私の罪滅ぼしよ。
「...そっか。もう止めても無駄なんだな」
「えぇ、止めても無駄」
私が強情なのは、夫である貴方がよくわかっていることでしょう?
話はこれで終わり。
私は明日から村外へ向かうわ。
朝早いから、もう寝る。
「一つだけ、お願い聞いてくれるかい?」
波之助を玄関まで見送ろうとしたときだ。
先程の真剣な表情で私を呼び止める。
何かしら。
「今日は、ここに泊めてくれないか?」
「.....」
「変な意味じゃない。ただ、もし君が明日死ぬのなら、一度でいいから夫婦共に、眠りたい」
駄目かい?
そんなふうに訪ねる視線。
波之助がこんなことを言い出すのは初めてだ。
結婚してから、確かに一度も夜を共にしたことはない。
でも、でもね。
「私は、帰ってくるから安心しなさい」
貴方や辻を残してはいけないもの。
でも、さっきの約束は絶対に守ってね。
万が一ってことがあるかもしれないし。
波之助の顔から雲が消えることはない。
「ほら、帰って帰って。明日は早いのよ。おやすみね」
何も言うことのない波之助を家から追い出すように玄関の外へと追いやった。
抵抗することなく、波之助は家から出ていったが、その顔は何処か暗く、今にも泣きそうな顔だった。
「...弱虫ね。ほんと、泣き虫」
その声は、私以外誰もいなくなった家にポツリと響いた。
