菜々ちゃんの夢を見た。
過去の記憶の断片。
『心機一転して頑張ろうよ』
そう言って奈々ちゃんは精一杯笑ってくれた。
菜々ちゃんと別れ、夢を叶える道を選んだ俺の背中を押してくれた。
最後に
「行ってらっしゃい」
と送り出された。
行ってきます、菜々ちゃん。
いつも仕事へ向かうときは胸の内でそう呟いて、菜々ちゃんの笑顔を思い浮かべる。やる気がみなぎる。
別れてもずっとファンでいる、テレビの向こう側で応援していると言ってくれた菜々ちゃんに、ちゃんと頑張ってる姿を見せたいから。もっとたくさんテレビに出て、面白いことを言いたい。
ああそれなのに、何でさっきから口が開けないんだろう。
「透琉くん、おはよう。朝だよ」
幕が開く音と共に菜々ちゃんの声がした。視界に入ってくる光が眩しくて目を細めた。
「……な、菜々ちゃん?……夢?」
ちょっと待ってちょっと待って、なにこれ、ここどこ?
確か……久遠さんちで飲んでて、酔っ払っちゃって……頭いてーし!
「続きは久遠邸で……始めるよ?」
「えっ何、えっと、俺……」
慌てる俺ににこっと天使の笑みを見せ、菜々ちゃんはぴしっと姿勢を正した。そしていきなり歌い出した。
「ちゃ~んちゃちゃちゃちゃちゃ、ちゃ~んちゃちゃちゃちゃちゃ♪」
聞き馴染みあるメロディ。もしかして、これって……
「まずは両手を大きく伸ばして~」
ラジオ体操第一だ。
初めて菜々ちゃんを見たときと同じように、きびきびと体操する姿に呆然と見惚れた。全力投球でラジオ体操する菜々ちゃん、やっぱり可愛い。
でも何で今ラジオ体操??
どう突っ込みを入れるべきか。
体操を終え、くるりとこっちに向き直った菜々ちゃんの、きりっとした瞳にどきっとした。
「新しい毎日を、透琉くんと生きていきたいです。大好きです。私と、結婚してください」
えっ、えええっ!?
今何て言った? やっぱりこれって夢じゃないの? 俺の願望出すぎの。
目が覚めたら菜々ちゃんがいて、ラジオ体操して逆プロポーズ? ありえないシチュエーション。これが夢じゃなくて何だ?
現実と向き合うため、ぎゅっと目を瞑って、頬っぺたをつねった。
痛っ! マジ超痛い!
目を開けると、まだ菜々ちゃんはいた。不安げな顔でじっと俺を見てる。
夢じゃ……ない。
“上手く行きすぎてびっくり”
漫才ネタのワンフレーズがよぎった。
「はい、喜んで」
そう受けるのもお約束。
台詞のように口にして、一気に現実味を覚えた。
「えっ、えっ、何で、夢じゃないよね!? 菜々ちゃん、俺……えっ、超嬉しいんだけどっ! ちょ、ちょちょ、ちょっと待って……抱きしめても、消えない?」
両手を上げてあたふたしている俺の胸に、どんっと菜々ちゃんが飛び込んできた。
抱きついて背中に手を回してくる菜々ちゃん、可愛すぎて死にそう。ぎゅっと抱きしめ返して、幸せを噛みしめる。
てか、もうちょっと噛みしめさせて!
あんたらタイミングよすぎですよ。
ドンドンと部屋のドアがノックされる中、ベッド脇に置いている携帯もけたたましく鳴っている。
今日がオフじゃないのは分かってますから。
「ちょっと、タンマ」
とりあえずキスくらいさせて。
邪魔者が気になっている菜々ちゃんの顔を引き寄せて、鼻先をくっつけた。キスするよの合図。
素直に目を瞑ってくれる菜々ちゃんの、可愛い唇にちゅっとキスをした。もっと深くしようとすると、慌てて飛びのかれた。
「……わっ、駄目!」
「……何で、駄目え?」
ちょっと甘えてみる。年下の特権を行使。
「だ、だって、出なくちゃ……」
菜々ちゃんが気にしているドアの向こうから、野太い声が響いた。
「とーる! おっはー! 邪魔するけどなあ。ジャーマネ、迎えに来とるで」
一気に我に返って、転がるようにしてドアを開けに行った。
マネージャーはともかく、大先輩をドアの外で待たせるとか、調子乗りすぎた。
「おはようございます! お世話になってます、久遠さん。俺……」
気持ちがはやりすぎて息継ぎが追いつかない。
「結婚します。菜々ちゃんと」
そう報告すると、久遠さんは目を白黒させたあと、熊のように咆哮した。
「うおおおお、ホンマかあ! ようやった、とーる! めでたいなあ。よっしゃ、飲むか!」
「あ、いや。ようやったのは、菜々ちゃんで、俺は……」
何もしていない。恥ずかしいことに。酔っ払って寝て、起きたら菜々ちゃんがいて、勇ましくプロポーズしてくれた。菜々ちゃんは、ほんといかしてる。最高。
ぐだぐだヘタレてた俺に、見事なサプライズ逆プロポーズを決めてくれた。
「おっ、菜々ちゃん。おめでとーさん。やったなあ! オッサン嬉しいわ、ホンマ」
「ありがとうございます。久遠さんと雪美さんのお陰です、本当にありがとうございます。これからもご指導ご鞭撻のほう…」
「ああーもうそんな堅苦しいのは、あかんあかん。ご指導ご鞭撻されたいのは、俺のほうやで。どMやねん。鞭打って~ん」
パシっと後ろから飛んできたのは、雪美さんの平手だった。
「朝から何アホなこと言うてんねん。とーる、三木さん玄関の外で待っとるで。入りや言うたんやけどな」

