side:ドール
話は前へ戻る。
そう遠くは無い前へ。
今朝珍しく兄さんがボクに頼み事をした。
何時もの笑顔で、でも、声は笑顔では無かった。
これも珍しく真剣な声色で。
ボクは部屋の中でじっとしているのは苦手で、どちらかと言うと嫌いだ。
だから、今日も宛もなく、だけど楽しく街を歩く予定だった。
外出の暖かい上着に身を包んで、用意良く手袋とマフラーを身に付けて。
朝食は作るのが手間だからファーストフード店で済ませる予定。
兄さんは起床時間が不安定だから、朝出会う事は少ない。
この日、ディーブはナタリアの元に泊まっていた。
セルリアはアトリエに居ると兄さんから聞いた。
久しぶりに兄弟2人だけになった家だったけど、そんな事で兄さんが特別優しくなる事も無く、強いて言うのなら冷たい視線が重い空気と共に送られただけ。
だから、今日も何も無く、変わる事なく、変える事なく、ボクは家を出ようとした。
でも少しの間止められてしまった。
最愛の兄さんに...
「ちょっと待て」
「っ!?...び、ビックリした。
珍しいね♥兄さんから声掛けるなんて。」
「誰が好きで声なんか掛けるもんか。」
「じゃ、何で...?♥」
「立って話すのは嫌だ。」
ボクの疑問を置いて、兄さんは自分の椅子に腰を下ろした。
寝起きの所為か目付きが酷い。
寝癖は可愛いと思う。
少しよれているパジャマの第一ボタンを外すと、兄さんは右手で頭を掻きながら、左手で椅子に座る様促した。
指示通り椅子に着いた。断る事なんてボクの選択肢に無いから。
「なぁに?兄さん♥」
「不本意ながらお前を使う。」
「誰か殺すの?♥」
「いや、違う。励ましに行ってもらう。」
「もしかしてセルリア?♥」
「あぁ。」
兄さんは髪を掻き上げて言う。
「今1人だと不安定だ。本物の狂人になる。
それでも良いけど、其れはつまらない。
僕も後から行くが、其れでは間に合わないかもしれない。」
「だからボク?♥」
「そうだ。お前だけは知ってるよな。
僕がどんな想いかを。」
兄さんの金色の瞳が僕を捉える。
静けさの中に見える獰猛さは正しくウルフアイと言えるべきだろう。
本当に兄さんと同じ瞳で良かったと心から思っている。
「うん♥♥ボクだけが知ってるよ!♥」
「不本意ながら僕とお前は兄弟だからな。
お前だけ知っていれば良い。」
「ねぇ兄さん♥」
「何だ?」
「御褒美、頂戴♥」
「何の?」
「この前の暗殺♥ボク頑張ったでしょ!」
「嗚呼あれね...」
兄さんが瞳を伏せる。溜息を吐いて右手をこちらに伸ばす。
ボクは椅子から立ち上がり、喜んで指し伸ばされた右手へ向かった。
其のまま兄さんの胸元へ入る。
優しく抱きとめられ額にキスをされた。
其の後はボクの気の済むまで兄さんを抱き締めていた。
殺さない様に細心の注意を払って。
「もう離せ。吐き気がする。」
「はーい♥ありがとう♥兄さん♥♥
愛してるよ♥揺籃から墓場まで♥♥♥」
「大嫌いだよ。揺籃から墓場まで。」
ボクは幸せな気持ちで家を出た。
兄さんがボクを嫌っている事は、物心ついた頃から知っている。
そしてボクも物心ついた頃から兄さんを愛している。
どちらにもきっかけなんて無いと思う。
ただただ互いが似て非なる想いを持ってしまっただけ。
兄さんが何気無く口にした中でこう言うのがあった。
“好きの反対は嫌いでは無い。無関心だ。
嫌いの反対も同じく無関心だ。
何故って、好きも嫌いも相手を想っている事に変わりがないからさ。
だから関心が無い、無関心こそが対義語として相応しいと思わないか。
だから結局の所、僕もお前も同じなんだよ。
気持ちが悪い程にね。”
ボクはよく解らなかったけど、兄さんは自分自身とボクについて、呆れ果てている事はよく解った。
セルリアの所に向かうにも、まず朝食を食べないと...。
大通りを歩きながらボクは何を食べようかと思考を巡らせた。
「其れにしても、兄さんがボクを頼るってホント珍しいな...。
んフフ〜兄弟だからか...血が繋がってて良かった。」
血が繋がってるからこそ、兄さんはボクを頼る他無いんだ。
何て素晴らしい事なんだ。素晴らしい。
この繋がりだけは神でさえ断ち切れない。


