三度目の夏、私はプロの登竜門である、世界的に有名な音楽コンクールに出場した。

「奏美、大丈夫よ!あなたは素晴らしいソプラノなんだから!」

「楽しんできますね!」

一次審査、自由曲はメンデルスゾーンの『歌の翼に』にしていた。詩人・ハイネの詩に曲をつけたもので、幸福感情が溢れた詩に上品で明るく美しいメロディー。でも、どこか儚げなこの曲は、メンデルスゾーンの歌曲の中でも一番良く知られているものだけに、厳しく審査されるだろう。

それでも、私は彼の音楽を表現したかった。控えめな感情、旅する音楽。ここでも芸術は繋がっている。

私は舞台でニコラスと出逢ったあの国を思い出していた。南はるかなる、美しい国…。
一人で見た、蓮の花と月の影が蘇ってくる。いつだって彼を待っていた、あの頃の私に戻る。
なま暖かい風と共に、夢の世界へと舞い戻る…。

私はいつだって夢みる少女だった。きっと、ニコラスもー。


二次予選にも通過し、本選までやってきた私は、モーツァルトの最後のオペラ『魔笛』から、夜の女王のアリアを歌うことになった。

ここまで残れたのだから、きっとやれる。本選はオーケストラとの共演で、一般公開される。

エジプトの王子、タミーノと夜の女王の娘、パミーナ、鳥刺しのパパゲーノとパパゲーナが結ばれるまでを物語にした童話的なオペラ。
夜の女王のアリアは、女王が娘にナイフを渡して、宿敵ザラストロを殺害するように命じる場面で歌われる。
高音が使われているうえ、装飾的でとても技術が必要な曲だ。

それでも、難しい顔をして歌ってはいけないー。


ずっと疑問に思っていた。私は、才能があるのだろうかとー。

ニコラスはなぜ、あの短い歌を聴いただけで、才能があると言えたんだろう。
何か、心を動かすものが、私の歌にはあったのだろうか。

歌は自分の表現したいものが簡単に表せる。楽器よりも、ずっとー。しかし、自分のコンディションによっては最悪の結果にもなりうる。

今日の私は強かった。指揮者に委ねる、安心感。オーケストラが自分の手の中にいるかのようにはっきりと聴き取れ、天高く歌声が響く。

私は優勝することができた。



三度目の冬、ミンジーが東京に遊びに来た。

「奏美!」

「ミンジー!久しぶり!」

「ちょっと、痩せたんじゃない?」

「日本食はヘルシーだからね!」

私たちは美味しいものを食べ、遊び、たくさん話した。

「ねえ、お兄ちゃんとはどうなったの?」

「もう、暫く連絡を取ってないの。」

「なんで?」

「なんでかな…。」

「だから、私が言った通りじゃん!破局だって!」

「でも、私は音楽の道に戻ってきたのよ?音楽があれば、どこでも繋がっていられると思うんだけどな…。」

「バカじゃないの!そんな訳ないよ!」

「そうよ、きっと。」

ニコラスから来た最後のメールにはこう書いてあった。

ー僕は今、実家に帰ってきているよ。ねえ、今日の月を見た?美しい満月だよ。僕たちはいつだって、同じ月を見上げているんだ。こんな
夜は君にセレナーデを聴かせてあげたいな。音楽と月と光と影は、僕たちが遠く離れていても、近くに感じさせてくれるよ。 寂しがり屋のニコラスより

私は相変わらず多忙な毎日を過ごしていた。きっと、ニコラスも…。彼も忙しいのではと思うと、連絡ができなかった。

「それより、ジョッシュとはどうなったのー?」

「実はね、卒業して何年かしたら結婚するの!」

「えー!どっちで暮らすの?」

「ジョッシュが韓国に来るの。短期留学してきててね、すごく気に入ったみたい!」

「へー!ミンジーは?幼稚園の先生になれそうなの?」

「うん、良いところに就職できそうなの!」

「すごいね!」

「奏美はどうなの?」

「私は卒業したらプロの道に進もうかと思って。」

「すごいじゃん!」

「そのうち、世界中で歌えるといいんだけど…。」

「奏美なら、できるでしょ!」

「どうかなー?」

「大丈夫だって!」

「うん、頑張る!」