放課後の練習室は空いていて、自分の音とだけ向き合えるから好きだ。

先生が来るまで、少し練習しておこう。

テレマンのソナタ、イ短調、アンダンテ。

静かに、美しく、繊細に…。

「カナーミ!遅れてごめんね!」

「ソープ先生…。」

いつも遅れてくるレッスンの先生は、とても陽気で前向きな良い人だ。

ただ、ルーズすぎてついていけないというか、いまいち尊敬できないというか…。

「先生、練習してきたので聴いて下さい。」

「君は真面目でいいね!他の生徒にも見習ってほしいよ!」

先生も少し真面目になって下さい…。


レッスンは淡々と進み、少々の談笑のあと、帰宅することにした。

練習室を出て鍵を閉めていると、珍しく隣の部屋の明かりがついていた。

ドアのガラス部分から覗くと、ニコラスがピアノの前に座っていた。

「ハーイ。」

やばい!覗いているのを見られてしまった。恥ずかしい!

穴があったら入りたいし、消えることができたらそうしたい。

しかし、実際には無理なので、私は練習室に入ってこう言った。

「こんにちは、ミンジーの友達の奏美です。」

「オーボエ奏者でしょう?レッスン聴いていたよ。」

顔がどんどん赤らんでいくのがわかる。
言葉に詰まって、声が出ない。

「昼間のオーケストラの練習、ボロディンのダッタン人の、すごく良かったよ。今の曲も好きだけど。」

「あの、」

私は蚊の鳴くような声で言った。

「私、その…あなたの音が…」

「僕の音?」

「ええ、キレイでした。」

彼は漆黒の瞳をこちらに向けて、控えめに笑いながら言った。

「ありがとう。」

私は恋に落ちたのか、それとも、音楽という魔術に魔法をかけられたのか…?