「ねえ、ママ、私、卒業したらドイツに留学してもいい?」

「何を突然に。あなたドイツ語なんてできないでしょう?」

「だから、語学学校に行きたいの。」

「その後どうするの?」

「まだ決めてないけど…。」

「思いつきならやめておきなさい。恋してると盲目になるものだから。」

「ママはさ、この国に来るの嫌じゃなかったの?」

「ママは、大学時代留学したから言葉には不自由しないし、それに、もう一度海外に住んでみたかったから、丁度良かったの。」

「パパが好きだからついてきたんじゃないの?」

「それもあるけど、あなたにも良い環境だと思ったから。」

「ふーん。」

「大学はどうするか決まったの?」

「うーん、無理かもしれない。」

「どうして?」

「天才には敵わないの!」

「音楽が得意なんだから、音大を受験してみればいいのに。ママは自分が音大を出て良かったと思ってるけど。」

「うーん…。」

「頭も良い方だし、意思があるならアメリカに行ってもいいし。」

「でも、一人で生活できるかな?」

「そうねー。やればなんとかなるものよ。」

「そんな勇気ない…。」

「ドイツに留学するよりも勇気はいらないでしょう。言葉が通じるんだから!」



相変わらずオーケストラの練習は先生の熱意で成り立っている。今日は新しい曲が配られたから、やる気は一層高まっているようだ。

「リムスキー=コルサコフのシェヘラザード!さあ、みんな、始めるよ!」

千夜一夜物語の語り手、シェヘラザードの話をテーマとした交響組曲。彼女を象徴するのが、独奏ヴァイオリンの美しい主題。ニコラスの良さが引き立つ、とろけそうな旋律。いや、美しい旋律を引き立てる、ニコラスの音か?

待機していて暇な私は、彼の方ばかり見ていた。それに気づいたのか、彼は弓でサインを送ってきた。私はそれを見てそっと微笑むと、ニコラスも微笑み返した。

私たちだけの世界が広がるー。

練習が終わると、彼は私のところへやって来た。

「今度の土曜日のコンサートのチケットは取れるかい?」

「うん、先生に聞いてみるね。」

「良かった!お願いね!」

演目はなんだろう?放課後、オーボエの先生な来たので聞いてみた。

「ああ、ベートーベンの交響曲第7番だよ。」

「チケット、2枚お願いします。」