「ああ、もう!」

一歩、足を踏み出したら、うしろで夏生の声がした。
ひどく悔しそうで、のどから振り絞るような声。

「なんなの? ほんとにそれだけかよ」

私は足を止める。
夏生がなにを言いたいのかよくわからない。

「会いたくてたまらなかったのは俺だけかよ?」

今、なんて、言った?
私は振り返った。
夏生が怒った顔をして私をにらんでいる。

「呼び出されてうれしくて飛んできたのに、まじで仕事の話だけかよ? あー、もう俺バカみてぇ」

「……うそ」

「うそじゃねぇよ」

「だって」

「だってじゃねぇよ。しずくのこと、ずっと前から見てたんだよ。メイズに就職したことも、知ってたんだよ。なんで、コンパに参加してたと思ってんの? しずくが来るかもしれないと思ったからだろ!」

マフラーで半分隠れた夏生の頬は、少し離れた距離から見てもわかるくらい、真っ赤だった。
夏生は顔を左の手のひらで隠すと「カッコ悪いな、俺」とつぶやいた。

「……終わりだって、夏生が言ったくせに」

「しずくが言ったんだろ、加地くんに」

「……それは」

「ギブスがとれる日に言われたよ。しずくが怪我が治ったら全部終わりだって言ってたって。だから、ちゃんと終わらせてあげてくださいって。怪我を理由にしずくを縛り付けておくなんて卑怯だって」

そうか。
加地くんはそんな風に思っていたのか。
だから、私が本当の気持ちを話したとき、あんな悲しい顔をしていたのか。
自分がしたことは間違っていたんじゃないかって。

「……たしかに自分でも卑怯だと思った。だから、しずくに決めてもらおうと思った」

夏生が目を伏せて小さな声で言った。

「……でも、好きだったのは俺だけかよ」

「うそ」

「だから、うそじゃないって」

「うそだよ! 好きだったのは夏生だけなんてうそだよ!」

張りつめていたものが、急に崩れて、私はぺたんと地面に座り込んだ。
アスファルトの冷たさが伝わってくるけど、そんなことどうでもいい。

「私だって、毎日会いたくてたまらなかった! 夏生がいなくてさみしかったよ! 終わりになんかしたくなかった! 夏生の本当の恋人になりたかったよ!」

いつかみたいに。
私はまた声をあげて泣いた。
子どものように。
床に突っ伏して。