そう。
ここで彼と喧嘩をしたのよ。
頑固な私は動くことはなくて、
ずっとそっぽを向くの。
彼が慌てて謝る姿が愛おしくて、
意地悪したくなってわざと怒ったふりをする。
彼が諦めて先に一人で帰っても、
必ず迎えにきてくれるってわかっている私は、
後ろから彼の声が聞こえるのを、
目を閉じて待ったりした。
この道は、彼が歌いながら歩いたのよ。
その歌を、目を閉じて私は聴くの。
そうして聴くと、
私の中に彼の声がよく響くから。
私が転ばないように、
彼が手を繋いでいてくれた。
その手が、とても暖かくて・・・。
このコンビニはいつも寄ってたなあ。
私の好きなグレープフルーツの
ジュースを買って帰るの。
この階段は、
彼が初めて私を迎えに来た場所。
彼の好きなラーメン屋さんから香る
いい匂いが鼻を掠める。
思いだせばキリがないくらい、
彼との思い出が詰まってる。
どうしてだろう。
忘れなくちゃいけないのに、
どんどん、どんどん思いだしていく。
だけど、思い出せないことがある。
彼が今日、歌うはずの歌と、
彼の笑った顔。
あんなに歌ってもらったのに。
あんなに笑顔を向けてくれたのに。
それなのに、私が思いだすことはなかった。


