カフェ・ブレイク

「章(あきら)さん?」

義人くんが、突然その名前を出した。

びっくりして、声が出てしまった。
「なっ!?……何で?」

洗い物を終えたらしく、義人くんは手を拭きながら、私のすぐ横に椅子を移動させてきて座った。
「あの日……夏子さんの赴任初日に目が腫れてたのは、そのヒトと別れてきたから?」

言い当てられて、私は何も言えなかった。

「……夏子さんも、たいがい、しつこいね。2年以上たっても忘れてへんやん。」

「そんなことない。思い出すこともない。……君のことで頭いっぱい。」
ちゃんと本当のことを言ってるのに、義人くんは悲しそうに笑った。

「嘘くさっ。」

……本当なのに。
伝わらないことが悲しくて、私は目を伏せた。

「章さん……か。夏子さん、意識が飛ぶと、たまに混乱するみたい。てっきり、別れた旦那さんかと思ってたけど……別の男とは。」
義人くんの瞳が潤んだ。
「何で、そんなやつがいるのに、俺が好きとか言えるん?てか、何で、結婚したん?」

……イラッとしてきた。
「とっくに終わってるから。関係ないから。……君だって、私を想ってくれてるって言っても、さんざん他の子と遊んできてたじゃない。今さら、何で責められのか、意味わかんない。……今回だって、たまたま男だったってだけで、ちゃんと他のヒトに恋したんでしょ?」

私は立ち上がると、廊下に続く戸を開けて、指さした。
「今日は、帰って。」

義人くんは、立とうとしなかった。

「帰りなさい。私みたいなオバサンじゃなくて、過去のないかわいい女の子と恋愛ごっこしてらっしゃい。」

義人くんはテーブルを叩いて、立ち上がった。
バンッ!という大きな音に私の体は勝手に跳ね上がった。

「……わかった。」
義人くんはそれだけ言って黙って帰って行った。


体の力が一気に抜ける。

……私、無意識に章さんの名前を呼んでたって?

それは、義人くん……つらかっただろうな。
ごめん……。
どうしてまず謝れないんだろう。
大人げない。
義人くんを子供だなんて言えない。
私のほうがよっぽど……稚拙。
ほんと、情けない。


翌日から、義人くんは変わった。
以前のように、派手な女性関係の噂が入ってくるようになった。
カウンセリングに来た子たちの話によると、「本命にふられた。」と吹聴してるらしいことがわかった。
……ふった覚えはないんだけど。
ま、好きにすればいいわ。

多少の胸の痛みはあったけど、私はそれまでと変わらない生活を通した。
校庭で……廊下で……図書館で……義人くんは見かける度に違う女の子の肩を抱き、腰に手を回し、じゃれあっていた。

たまに私と目が合うと、悪びれもせず、膝を地につけて大仰なお辞儀をしてみせた。

私は無理矢理笑顔で会釈して返した。