駆け足で春が過ぎ、夏が過ぎ、秋がやってきた。

「こんにちは!」
元気な声でそう言いながら店に入ってきたのは、頼之くん。

「はい、こんにちは。久しぶりだねえ、頼之くん。……お母さんは?」
「走ってきた!」
頼之さんは、そう言いながらトテトテと歩いてきてカウンターを見上げた。

……座りたいのかな?

手を拭いて厨房スペースから出ると、子供用の椅子をカウンターに置いてから、頼之くんを抱き上げて座らせた。

ぷっくりしたほっぺたが少し赤くなっている。

「何が欲しい?ミックスジュース?クリームソーダ?アイスクリーム?」
営業スマイルじゃなくて、自然と頬が緩んでニコニコしてるよ、俺。

頼之くんは、ニコーッと笑って言った。
「ブレンド!」

……え?コーヒー?飲むの?君が?

驚いて困っていると、玄関のドアが開いた。


天女が舞い降りた。

「……いらっしゃい。真澄さん。」
柔らかい慈愛に満ちた笑顔に、俺は恍惚とした。
外見の美しさだけじゃない、内からにじみ出る温かさや優しさが、真澄さんを輝かせていた。

「こんにちは、マスター。……ごめんなさい、急に頼之が走り出してしまって。置いていかれちゃって。」
「おたあさん!ここ、ここ!」
頼之くんがパタパタと両手でこっちこっち、と手招きする。

「はいはい。……ホントにコーヒーでいいの?」
「ブレンド!」
頼之くんは、やっぱりそう答えた。

「……カフェインレスにしましょうか?」
厨房に入って、お水とおしぼりを出しながら真澄さんにそう聞いてみた。

「それが……どうしてもマスターのコーヒーが飲みたいって言うのよ。家(うち)のコーヒーじゃ納得してくれなくて。」
苦笑する真澄さんに、頼之くんは口をとがらせた。
「匂いが違うもん!甘くないもん!」

どうやら、うちのコーヒーの香りが甘いと気に入ってくれてるらしい。
「わかりました。ではうちのレギュラーブレンドで。真澄さんもご一緒でよろしいですか?」
真澄さんは花のように微笑んでうなずいた。



「どうぞ。」

いつものブレンドコーヒーを、頼之(よりゆき)くんが火傷しないように、カップを温めずにサーブして出した。
頼之くんは、くんくんと小さな鼻をひくつかせて前屈みになり、コーヒーの香りを嗅いだ。

「これ!犬じゃないんだから、ちゃんとカップをお持ちなさい。」
真澄(ますみ)さんは、そう言いながら、背筋を伸ばしてコーヒーカップの取っ手をそっと摘まむように持って、お手本を見せた。

……綺麗だな。

つい見とれる俺に、真澄さんは苦笑した。
「あまり見ないで。恥ずかしいわ。」

「……失礼しました。」

俺は慌てて視線をそらして、使い終えたネルやサーバーの後片付けをした。