私は彼の真横を、走り抜けて廊下に出た。
今すぐに、逃げ出したい。
拓哉の視線が届かないところに。あなた以外の人と、キスをしていた私を見ないで。知られたくなんてなかったのに。

「芹香!どこへ行くの」

そんな私の手首を、咄嗟に拓哉が掴む。

「離して。拓哉と二人でいたくなんてないからよ。佐伯さんに誤解されてしまうわ。彼に心配をかけたくないの」

ずっと一定の距離を保っていたのに、思わず昔の話し方に戻っていた。彼との距離が、急激に近づいた気がして怖い。逃げ出したくてたまらない。

手を上下に必死で振るけど、彼は離さない。
ますます力を込めてくる。

「離してよ!」

「ごめん、聞いて。さっきのは本当に冗談だったんだよ。まさか、本当にそんなことをしてるとは思わなくて……。もしも今、課長が戻ってきたら……課長はこんなことで君を疑うの?俺と話しているだけで?」

拓哉がどういうつもりだったとか、佐伯さんに誤解されてしまうとか。そんなことが問題なのではない。
私の気持ちが、不安定だからいけないの。

「芹香」

「拓哉には分からないわ。佐伯さんが不安を感じてる。あなたは、そんな思いをしたことがないからそんな風に思うのよ」

彼はそんな私の両手を掴んで、自分の方を向かせる。
私は、目を合わせたくなくて、顔を隠すように下を向いた。

あなたの言葉や行動に、いちいち反応して、私はどうしたいのか。
拓哉が現れてからは、ずっと自問自答している。
佐伯さんをまた、傷付けたい訳じゃないのに。