今から30年前。私立瀬花高校は、今と違って部活動はそれほど盛んではなかった。学力に力を入れている学校で、卒業生の中に政治家や小説家がいるのは、そのせいでもある。




私が入学した年に、新任の学園長が「文武両道」を掲げた。学力だけではなく、部活動をもっと盛んにして、そこから文化人やスポーツ選手を多く輩出しようと考えていたのだ。




私は元々、短歌が好きで、当時あった短歌部に入部した。部員は私を含めてちょうど5人で、私が入ったことによって、廃部を免れたととても喜んでくれたものだった。




3年生の俵 美佐枝(たわら みさえ)さんという方が部長だった。美佐枝先輩は、短歌を誰よりも愛する人で、中でも石川啄木が大好きだった。




「彼は、ふるさとに物凄い思い入れがある人なの。家族を大事にする人で、孤独な人だった。短歌を詠むと、その人がどういう人で、どういう暮らしをしていて、どう感じたのか、その人の内なる部分が全て見えるような、とても素晴らしいものなのよ」




と美佐枝先輩は、口癖のように言っていたのを思い出す。ただ、美佐枝先輩の詠む短歌は、石川啄木のように繊細で、孤独や寂しさを感じさせるものではなく、大胆で、朗らかな、詠むと元気をもらえるような、そういうものばかりだった。




対して、私はどちらかというと、石川啄木に近かったかもしれない。詠んだ短歌を美佐枝先輩に見せると、




「長我部くんは、いつも暗い歌ばかり詠むのね」




と半ば呆れたようにため息をつかれた。




「でも、石川啄木ってそういう歌多いですよね?」




「だからって言って、長我部くんが石川啄木になったわけじゃないでしょ? 彼はあれで繊細な部分もあって、素晴らしいから世に認められたのよ。あなたの短歌はただただ暗いだけ!」




「でも、その石川啄木だって、死んでから有名になったって聞きますよ?」




「それは、当時の人々の見る目がなかっただけね」




「美佐枝先輩も僕の短歌を見る目がないだけじゃないですか?」




こんな感じで私たちはいつも喧嘩ばかりしていたっけ。