思わず目を伏せた私に、碧生くんは慌てて弁解した。

「ごめんごめん!口が滑った。えーと、何が言いたいかって言うと、武家社会以降に作られた歪んだ倫理観のせいで百合子はたぶん自分を責めてるだろうけど、かつてのお公家さんの世界ではよくあることだから。妻問婚(つまどいこん)?」

私の気持ちを軽くしようとしてくれている碧生くんに、つい苦笑した。
「そうね。お嫁に行くのが当たり前だと思ってたけど碧生くん、このままだと、うちの両親に婿養子に望まれそうね。」
そう言ってから自分の言葉に驚いた。

碧生くんにずっとそばにいて欲しいと思ってることは自覚していたけど、それって、私、結婚を意識してるんだ。

いつの間に……。

何だかんだ言って、プロポーズの効果は大きいのかもしれない。

「洗脳されてる」
そうつぶやいた私の手を取って、碧生くんは口づけた。

「ありがとう。今はそれで充分。今夜、帰ってきてくれただけで……」
碧生くんの言葉が詰まった。

泣いてる?
胸がグッと圧迫されたかのように苦しくなった。

「目の裏に、浮かんだの。前は八重桜が赤い炎のように燃えたのに、今日はまぶたに碧生くんがいたの。」

こんなことまで言うべきじゃない気がする。
なのに、止まらなかった。

「これが罪悪感なんだ、ってわかったの。」

泉さんに抱かれても、前のように幸せなだけじゃなかった。
翻弄されながら、碧生くんが脳裏から離れなかった。

「碧生くん好きなの」
ボロボロと涙がこぼれる。

「うん。わかってる。だから、つらいんだよね。ごめんね。」
碧生くんはそう言って、私を抱きしめた。

つらいのは碧生くんなのに。
私はただのワガママでしかないのに。
今は、どっちも欲しい、どっちも切り捨てられない、どっちにも愛されたい……そんなひどい女なのに。

「そんなに泣くと、お薬が剥げるよ。」
「そしたら、また、碧生くんに塗ってもらうもん。」

泣きじゃくりながらそう言うと、碧生くんは静かに息を吐いた。
「わかった。」
碧生くんはそう言って、私の顔を上げさせた。

「後でちゃんと塗ってあげるから。」
優しい笑顔なのに、瞳だけがギラッと光った。

キスの雨が降る。
唇だけじゃなく、舌で、歯で、碧生くんは私の腫れた顔も、さっき塗ってくれたステロイド軟膏もものともせず、貪った。
足湯でドクターキッスフィッシュについばまれているかのように、くすぐったく気持ちいい。
涙はすぐに止まり、口元が笑い、最後は吐息が熱くなる。

泉さんとの官能の残り火が再燃した。

もじもじする私に、碧生くんは意地悪く言った。

「鎮めてあげようか?」

ぶるっと背筋に震えが走った。

そのまま、碧生くんに抱かれた。

さっきと違って、泉さんがまぶたに浮かぶことはなかった。

ただ、ほんの数時間前と違う人に愛されて、こんなにも悦んでいる自分の身体が恨めしかった。