……真夜中にこっそりと忍び込んで、2人で桜を眺めるのが好きだった。

「毎年、桜の時期には観桜の会を連日開いていて……ああ、天花寺のご当主も今年は来られるそうですよ。」
「まあ、恭匡さんが。では由未さんも?」
「それが……」
クスッと若宗匠は思い出し笑いをされた。

「何ですの?」
「いえね、私は天花寺家とも、個人的に竹原ともご縁がありましたが、由未さんとは昨日はじめてお会いしました。……昨秋の結婚式にも家元だけが出席いたしましたし。何と申しましょうか……不思議なかたですね。」

不思議?由未さんが?
「何事にも一生懸命でかわいらしい女性だと思いますが……」
心の片隅で劣等感が疼くのを感じながら、そう言った。

「ええ、そうなんでしょうね。……なんでも歌劇団の若手スターさんのファンクラブの東京公演中の代表代理を頼まれたらしくて、1ヶ月半もの間、毎朝毎晩、劇場に行かなければいけないそうです。」

若宗匠の言葉は予想外のものだった。
「……そのために、ご実家の観桜会に恭匡さんお一人で行かせる、と?」
私の声に不穏なものを察知されて、若宗匠は慌てて手を振られた。

「あ、いえ。言葉足らずでした。……まあ、由未さんもご当主もそのつもりだったようですが、昨日それを聞いて佐藤くんが怒って説得されて、結局ご夫婦で来られるようです。」
「……そうですか。」
心からホッとした。
碧生くん、グッジョブ!

「由未さんも、佐藤くんも素敵な人ですね。東京のお稽古場、とても楽しくなりそうですよ。」
若宗匠はそう言って、またクスクスと思い出し笑いをされた。


お茶のお稽古の後、バスと電車を乗り継いで競輪場へと急いだ。

既に無料バスの運行は終わっているようだ。
歩いても充分行ける距離ではあるが、緩やかな坂を延々と登っていかなければいけないことと……お茶のお稽古帰りの着物と草履なので、諦めてタクシーに乗車した。

「近くて申し訳ないのですが、競輪場までお願いします。」
運転手さんにそう言うと、二度見されて、首をかしげてらした。
……着物で競輪場は、まずかったかしら。


到着すると、すさまじく注目を浴びてしまった。
今日のお着物はお稽古着としてもう何年も着ている普段遣いの小紋なので、問題ないと思ったのだけど……。

「こんなにぶっ飛んだお嬢様とは思わなかったな。」
遠くのほうから私を見つけた中沢さんは、お腹を抱えて笑いながらやって来てそう言った。

「ごきげんよう、中沢さん。お茶のお稽古がありまして、着替えに戻ると間に合わないと思ったものですから。」
気恥ずかしいので、敢えて背筋を張ってそう答えた。

「気丈なお嬢様だ。」
笑いをおさめきれてない中沢さんに、私は出走表を示した。