「これ、昨日のお祝儀。」
お店を出てから、中沢さんがクシャッと折り畳んだ1万円札を私に押し付けた。

「いただけません。」
慌てて突き返す。

「いいから。それで今日は、泉勝利を買ってやりなよ。」
再び押し付けられた。

よく見ると、1万円札は3枚あった。
「こんなに?……いくら儲けられたのですか?」

「2車単2万車券を2千円と、3連単15万車券を300円。」
ギョッとした。
少なくとも、合計85万円以上!?
競輪って……すごい。

「しょーりのレースだけだよ、僕が張り込むのは。」
涼しい顔で中沢さんはそう言った。

「では私も。」
泉さんの1着で2車単を3千円ずつ「流し」という買い方で、2着を全通りで購入。

残った6千円は、泉さん1着で、泉さんのラインの前の選手と後ろの選手を2着にした2車単を追加購入。

「『心中』だな、しょーりと。」
言葉の持つ力に、とらわれた。
心中……。

黙りこくった私に、中沢さんが苦笑した。
「そういう買い方を『心中車券』とか『応援車券』って言うんだよ。……何も本当に心中しろとは言ってないよ。まあ、心中なんかする人じゃないけど、泉勝利は。」

……ちょっとホッとすると同時に、動揺した自分に戸惑った。
「心中するタイプには、確かに思えませんね。」
そう同調すると、中沢さんは言った。

「でもお嬢様は、心中しちゃいそうだな。相手がしょーりじゃ、どう頑張っても無理心中だけど……その前に、ボロボロにされて捨てられるよ。彼氏、かっこいいし優しそうだし好青年じゃないの。よそ見しないほうがいいよ。」

どういう意味だろう。
ボロボロにされる?

「彼は友人です。……泉さんは、女性関係が激しいのですか?」
ドキドキする。

「激しいというか、傲慢?あの性格だからね~。興味と本能のおもむくまま食い散らかして捨てちゃうって、噂。」

また、噂。
私は首をかしげた。
「根も葉もない噂、ですのね。」

そう確認すると、中沢さんは肩をすくめた。
「……聞く耳、持たないわけね。そうだね、当事者に聞いたわけじゃないから噂でしかないね。あと他には、2回離婚したとか、3回離婚したとか。子供も別れた奥さんに1人とか2人とか……全て、噂だよ。」

離婚……子供……。
胸が痛んだ。

「出自もね、日本人じゃないとか、差別を受けてたとか……これはまあ本当だろうけど、僕自身が確認したわけじゃないから、噂の域を出てないよね。」
中沢さんの口調は皮肉気だった。
彼にとってはどうでもいいことなのだろう。

……けど、私は全身に震えが走るのを止められなかった。

「大きい声では言えないけど、ドーピングやりすぎて精神的に不安定とか、ヤクザとつるんで八百長レースやってるとか……これも、噂。」
それって、犯罪じゃないの?

「……ひどい噂ばかりですのね。」
かすれる声でやっとそう言った。

中沢さんは、端正な顔を引き締めて、低い声でハッキリと言った。

「ひどい男なんだよ。」