お稽古の後、若宗匠はさやかさんとつきあい始めたらしいと、水屋で他のお弟子さんから聞いた。

義人さんの言ってた通りになったのね。
お2人はお似合いかもしれない。

ぼんやりとあの夜を思い出して……ため息が出た。




「明日はいい天気だから、奈良まで遠出しない?」

お彼岸で京都市内にヒトがあふれると、碧生くんは私を少し遠くに誘い出した。
「奈良、ねえ。」
「秋篠寺の伎芸天、見たことある?」

碧生くんにそう聞かれて、首を横に振った。

「奈良にはほとんど行ったことないわ。」

うちの大学は一般教養を受けるキャンパスが奈良寄りにあるけど、足を伸ばしたこともない。

「そっか。じゃ、あちこち一緒に行こうよ。」

……興味がないから行かないのに。

碧生くんは、他にどこを回ろうかと楽しそうに計画を練っていた。




翌日、本当に奈良に連れて行かれた。
「有料道路ができて、ずいぶんと近くなったんだね。」
碧生くんの言う通り、思ってた以上に早く着いた。

秋篠寺は、住宅街にあった。
宮様のお名前の由来になったり、有名な仏像があるようには思えない静かなお寺だ。
でも、お堂に入って、噂の伎芸天と対面するとその美しさに圧倒された。

天女って、こういう姿なのね。
あまりにもたおやかで、麗しい。
すぐ前で見上げると、慈愛の瞳で見つめられる。
……この像に恋する気持ちが少しわかるような気がした。

碧生くんは満足そうに眺めていたけれど、途中からは私をガン見していた。

「伎芸天を見にきたんでしょ?そんなに……見ないで。」
気恥ずかしくて、そうお願いした。

「うん。百合子を見た時、この伎芸天を思い出したんだけどね、こうして見較べたら、百合子のほうが素敵だったよ。」

真顔でそう言う碧生くんに、私は苦笑して脱力した。



秋篠寺を出てすぐ、碧生くんを呼ぶ大きな声がした。
驚いて見ると、派手な格好で自転車にまたがった人が笑顔で手を振っていた。

「佐藤碧生だろ!?俺!覚えてない?」

碧生くんは、ぱあぁっ!と顔を輝かせて、自転車の人にハグして、肩や背中をバンバン叩き合った。

2人とも日本人で日本語なのに、行動はアメリカ人になってるよう。

「水島か!あいかわらず自転車乗ってるのか!……いや、プロになったんだっけ?」

プロ……サイクリングレーサー?
サイクルレーサー、とでも言うのかしら。

「ああ。まだデビューして1年たってない下っ端やけどな、がんばってるで。7月からはS級や!」

デビュー……エス級……。

「頑張ってるんだな。」

しみじみそう言ってから、碧生くんは置いてけぼりになっていた私に慌てて説明した。