早春譜

 油を薄く塗ったお皿の上に搾り出す手間と、洗い物を少なくする工夫だった。

どうせ手にココアを付けなくてはいけないのだ。
それならいっそ、たっぷりのココアの中に入れればいい。
そんなとこだった。




 再びココアの入ったバットに戻し、ガナッシュを転がしながら絡ませる。


「軽くふわっと絡ませる」

美紀は珠希のレシピを忠実に再現した。
そしてやっと、バレンタインデー用トリュフが完成したのだった。


(詩織さんも作っているのかな?)

美紀は詩織が工藤淳一に恋していることに気付いていた。
だから珠希から伝授されたレシピを教えていたのだった。


自分が父親である正樹を愛しているように、詩織が兄である淳一に恋い焦がれている。

その事実に気付いたから尚更応援したくなったのだ。


美紀は詩織から聞いていた。
あの日。
美紀とお喋りした後で事故にあった詩織を心配していたからだ。




 救急車で運ばれた詩織はその日の内に日帰り手術を受けた。
全身麻酔での施術のために紙オムツを頼んだ折り、『前向きに生きればこその春隣り』の句を贈られた。
その時、恋心が目覚めたことを美紀に告げた。


でもその日の内に、淳一が母の再婚相手の息子だと解ったのだ。


その時から苦しみだけの日々が始まった詩織に、美紀は自分を重ねていたのだった。




 美紀は仏間へ行き、小さなお皿を供えた。


「ママ一つ頂戴」
そう言いながら、三個のトリュフチョコの内の一つを摘み頬張った。

残りは珠希と智恵と半分こ。

何時もとは違う何か……

別に智恵のことを蔑ろにしていた訳ではないが、沙耶に打ち明けたことによって、より身近な存在になっていたのだ。


「美味しい。流石だね、ママ」

美紀は自分自身で作り上げておきながら、珠希と一緒に調理したと思っていたのだ。

その中に智恵も入っていてくれたら嬉しいと美紀は思っていたのだった。


でも本当は……
珠希が亡くなって五年。
美紀は未だに珠希の亡霊から解放されないでいたのだった。