「ブーッブーッー・・・」
携帯の着信が鳴った。私は我に返り、急いで携帯を耳元にあてた。
着信先は会社の上司からだった。

「あ、もしもしおはようございます。実は今日のですね、会議が30分前倒しになったのでぇ、早く来てもらわないといかんのですわ。急げる?}

「あっ、はい。大丈夫です、すぐ行きます。」
そういった後上司はなにかもぞもぞと食べながら、じゃ。といって一方的に電話を切った。
こういう時にいつも「いい子」のようにふるまってしまう、八方美人的な私の性格にそろそろ嫌気がさしてくる。
声が変わり、語尾が上がり、眉が上がる。私以上の私を演出する術を私はきっちりわきまえている。
といいつつも、行くといってしまったからにはもう後には引けないんだけどね。

ため息しか出ないや。
音が遠ざかっていくあの世界。やだ、もう思い出したくもない。
あなたのことを思い出してしまった。アリの巣みたいにどんどんどんどん足が引っ張られて、もう抜け出せなくなってしまいそうな感覚。心を支えていた留め具がパチンと大きな音を立てて粉々になってしまうようなもろく儚い夢のような。
我ながら、どんだけ好きだったんだよ、私。
そう思った。
そのことになぜか誇りもあった。誇りも切なさもいとしさもまだ好きだって気持ちもでも後に引かなきゃいけないって気持ちももったいないという気持ちもいやでも純粋に会いたいって思いも欲望もいろんな感情が知恵の輪のようにぐるんぐるんに絡まって、やっぱり最終的にため息しかでないのです。

「ありがとうございました~」
店を出て、ipodのイヤホンを耳につけて、私は会社に向かった。
こういう時に限って、思い出の曲とか、切ない曲とか、今の私に重なる曲を選んでしまうのはなぜだろう。

タイトルは、another woman

大好きな曲。

すべてが思い通りにいくわけでないこと 
わかったつもりで大人になってた
たった一つの恋に立ち往生してくすぶってる自分が嫌
幼稚な発想でもう大切なものを見失いたくないんだ

ミドルテンポの、バンドサウンドとどこか颯爽とした流れのあるメロディ。別の、女?タイトルの意味はよく分からないけど。

大人ってかっこいいと思ってた。仕事をして、恋愛をして、いつか結婚して、家庭を持つこと。学生の頃は、今できないことも、大人になればなんだってできるのだろうと思ってた。それはファッションやメイクとかそういう経済的なことはもちろんだけど、それ以上に、不器用じゃない。ちゃんと考えて、やるべきことをしっかりやれる、仕事に集中して、たまには息抜きに旅行に行って。なんていうのかな、紆余曲折しながらもしっかりルートをはみ出さないというか、そういう思い込みがあった。何の影響かはわからないけど、CMとかドラマとか、一社会人の大人の女性をテーマに、たとえば旅行会社のCMだったり、キャリアウーマンの恋愛コメディだったり、映画だったり。

そんな思いがちらっと重なった、すべて思い通りに行くわけでないという言葉をどこか、「はいはい」といってさっさと片づけてた気がする。だってそれも含めの、ドラマでしょ?思い通りにいかないのがストーリーを面白くするスパイスなんでしょ?といわんばかりに。

きれいごとは嫌いだった。だけど、今はとてもつらい。
なんできれいにうまくいかないのだろうと、なんでこうしてあきらめなければならないのだろうと。

ヒールをかつかつと鳴らしながら、ミドルテンポのBGMとともに会社へ向かう、人込みの群れの中。
ビルとビルの隙間から除く、ちょっとだけ見える遠い高い高い空は、曇りがち。信号を目で追って、皆が機械のように動き出し、プライベートはコートの裏に隠して、たばこの煙に潜ませて、ハイヒールのかかとで踏みつけて。