――甘い、薫りがした。
目の前に広がっていたのは、花に囲まれた小さな庭だった。
煉瓦敷きの地面の周りに茂る緑。その中に開く、フリルのように幾重にも重なった、ピンクや白の優しい色たち。
一際目を引いたのは、日の光が降り注ぐ、庭の中心。
そこに物言わず佇む鮮やかな紅と蔓で覆われた花のアーチは、まるで天使がそこで眠っているかのように、静かであたたかな輝きを帯びている。
……なんて、きれい。
「薔薇という花よ」
ふと隣を見ると、ひとりの少女が庭を見つめながら笑みを浮かべていた。
わたしと同じくらいの年頃だろうか。
白いワンピースに、ゆるやかにカーブを描くブロンドの髪。光に触れた翠色の瞳が、磨かれた宝石の玉のように淡く透き通っていく。
「……バラ?」
「きれいでしょう。愛の花なの。私が世界でいちばん、好きな花よ」
そう言ってあどけなく微笑みかけてくる少女には、……初対面のはずなのにどこかで出会ったことのあるような、そんな懐かしさを感じる。
美しい翠の眼を見つめながら記憶を辿ろうとするわたしの手を、少女は首を傾げながらそっと握ってきた。
「あなたのお名前は、何というの?」
「名前……?」
少女の眼を見つめたまま、わたしは二度、三度と瞬きをした。
名前を聞かれたことなんて、今まで一度もなかった。一瞬言葉に詰まり、答えようとして、――開きかけた口が動きを止める。
名前。わたしの、名前。


