私は、うなずいて見せた。
「でも、もうちょっと頑張ってほしい。あと5ヶ月。私のお腹の中に彩瀬の子がいるんよ?彩瀬、逢いとーない?」
少しでも命を長らえてほしくて、私はそう言った。

彩瀬は、天使……というより、聖母のように微笑んだ。
「……あー……ありがとう……」
驚いた様子のない彩瀬に、既に父か頼之さんが伝えたのだろうと察した。

「……って……」
彩瀬の言葉が聞き取りにくくなった。

「え?なに?」
「……てね……」

「彩瀬?」
私はさらにかがんで、彩瀬の口元に耳を近づけた。

「待っててね」と聞こえたような気がした。

……でも、それっきり。
彩瀬は、二度と言葉を紡ぎ出さなかった。

目も口も閉じてしまったけれど、うれしそうに微笑んでいた。
私もまた、言葉を失ってしまったかのように、口を閉ざした。

しばらくの間、静かな呼吸が続いた。
そして、眠るように、彩瀬の呼吸が停まった。
彩瀬は、微笑みを浮かべたままこの世を去った。

「いやーっ!!!彩瀬ーっ!」
母が枕元に突っ伏して泣き叫んでいる。

父もまた母の両肩を抱いて、泣いた。

2人の取り乱している様子が、人形劇のように私の目の前で繰り広げられていた。
私は、黙って彩瀬の綺麗な笑顔を見つめて、ただ泣いていた。

絶望。
深い悲しみ。
……目の前が真っ暗になるという表現はふさわしくない……むしろ、全てが白んで見えた。

逝ってしまった。
私を愛してくれた、私の愛する唯一無二の存在。

私を守ると、私のために強くなると、私と2人で生きていこうと言ったくせに。

マシュウとマリラのように、ずっと2人で暮らすんじゃなかったの?


彩瀬の死をまだ受け入れられず呆然としている私のお腹の中で、子供が動いたような気がした。
そこには確かに生々しい現実があった。

生きてる。
命の躍動に新鮮な驚きを感じた。

この子にもわかるのだろうか。
あなたのお父さん、死んじゃったよ。
この世から、いなくなっちゃった。

心の中で話しかけると、また子供が動いたように感じた。
じんわりとほの温かく感じた。
……自分の存在を主張しているのかもしれない。

ごめんね。
もう少し待ってね、
今はまだ悲しみでいっぱいみたい。

でも、心が空っぽなのに、つらくてしょうがないのに、あなたがいてくれるから、私、生きなきゃいけないって思えるから。
不思議。
ずっと、小さいころからずっと、彩瀬がいないと生きていけない、って思ってたのに。
今度は、あなたを守ることが私の使命なのだろう。

ふと気づけば、私は背後から力強く支えられていた。
頼之さんのたくましい胸を背もたれにかろうじて立っていたようだ。

お腹の中の子どもの温もり以上に、しっかりと熱のこもった両手で私の両腕を掴んでくれていた。
何も言わなくても、頼之さんの心の声が聞こえるような気がした。

たまに震えが伝わってくる。
ああ、頼之さんも泣いている。
彩瀬のために。
音を漏らさず、何の主張もせず、ただ私を支えて泣いている頼之さん。

ありがとう。
今はそれしか言えないけど。

ただ、ありがとうと、言わせてほしい。