「ずっとこんな風で……さっきやっと穏やかになって、話もできたから呼んだんだが……しばらくするとまた……」
父が涙ながらにそう言った。

母が彩瀬の枕元で彩瀬を呼び続ける。

頼之さんは、小さく舌打ちして、私を招き寄せた。
「あおい。なんか、言ってやれ。」

「あ……」
言葉が出ない。

私はただ、彩瀬の頬に触れた。
片手はお腹において。
お願い。
目を開けて。
私を、この子を見て。

「……いで……」
かすかに彩瀬の声が聞こえた。

何か言おうとしてくれている。
荒い息はしかたないとして、機械の音がすごく邪魔。
……消すわけには……いかないのだろうけど……。

「彩瀬?聞こえる?彩瀬!」
母の取り乱しように、母は母親という名の女でしかないんだな、とつい白けて見てしまう。
私の彩瀬なのに。

……でも、それじゃ、母と同じなのかもしれない……同じ種類の女にはなりたくないのだけれど。
この人は母性と女の性(さが)を履き違えたまま、生きている。
私に向けられたことはないけれどたぶん愛情深い人なんだろうな、とは思う。

もし父がちゃんと母と向き合って、母だけを愛してくれていたら、こうはならなかったのだろう。
彩瀬の本当のお母さんが悪いとは思わないけれど……やっぱり彩瀬と同じように存在するだけで誰からも愛されて惑わせる女性だったのだろう。
母だって充分美人なのに。

巡り合わせ、かな。
私も独りでいれば美少女と呼ばれたのに、彩瀬と一緒だと空気のように存在を忘れられてきたっけ。

こんな時にそんなとりとめもないことをぼんやりと思いだしていると、彩瀬がハッキリと私を呼んだ。
「……泣かないで……あーちゃん……」
頼之さんが、しっと母に向けてゼスチャーした。

「あーちゃん……あー……泣かないで……」

私は彩瀬の削(そ)げた頬に手をあてたまま、返事をした。
「彩瀬。そばにいてくれんと、泣くもん。行かんとって。」

私の声は彩瀬に届いたらしい。
ふうっと大きな息を吐いて、彩瀬が目を開けた。
たじろぐぐらい大きな目だ。
「……あー。泣かないで。ずっとそばにいるから。」
彩瀬は私を見つめてそう言った。

……それを聞いて、私の目からまた涙があふれ出した。
すると彩瀬が、骨のように細くなってしまった手を私に向かって伸ばす。
「涙。拭いてあげる……泣かないで。」
私はその言葉に、少し腰をかがめて彩瀬に顔を近づけた。
枯れ木のような彩瀬の骨ばった指が、私の涙を払う。

「あー。またすぐに逢えるから……待っててね。」
「……。」

彩瀬の言ってる意味がわからず、私は返事できなかった。

「次は、絶対に、あーから離れないから。」
そう言った彩瀬の目から涙がすーっと流れ落ちた。

次……。
彩瀬は、輪廻転生の話をしているのか。

……おおかた、頼之さんあたりが諭したのだろう。
正直、私はそういう荒唐無稽な宗教論を信じていない。

でも彩瀬がこんなにも穏やかに逝けるのなら、それもいいだろう。