頼之さんは私を自宅マンションに送り届けてから、病院へ向かった。
帰宅してみると、母はまだ病院から帰ってないようだ。

父が居間のソファで居眠りしていた。
……父のことが気持ち悪くて2人きりになることは避けていたのだが……やつれた寝顔に彩瀬の面影を見ることができて、涙が出た。

「彩瀬……くな……」
父はうなされて、彩瀬を呼んでいた。
「彩瀬、連れて行かないでくれ……」

あれ?違う?連れてく?
ん~?
弖爾乎波(てにをは)に乱れが生じてる?
寝言ってそんなもんなのかな。

ぼんやりそう思っていたけれど、父はハッキリと叫んだ。
「彩瀬!母親のくせに!彩瀬を返せ!」

彩瀬の母親が彩瀬を連れてく、って意味?
……えーと……主語は彩瀬?彩瀬の母?
彩瀬の母って、お母さん……?……じゃない。

でも、どういう意味だろう。
いろいろな可能性を考えていると、父が目を開いた。

「ああ、あおいか。……嫌な汗をかいたよ。」
父は手の甲で首筋の汗を拭った。

「お父さん。彩瀬の本当のお母さんはもう死んだ?」
私は、父にはったりをかましてみた。

父は目を見開いた。
「……知ってたのか。」

いや、知らんかったって。
でも今の父の寝言は、そういうことよね?
「うん。彩瀬は知らん。……でも、知らんままでいいんかな。子供のことも、ほんまのお母さんのことも。」

父は顔を歪めた。
「彩瀬に言うと、お母さんが……つらい想いをするから……あんなに、彩瀬を可愛がってくれてるのに……。」

そう言って、父は涙をこぼして、嗚咽し始めた。
正直ギョッとしたけれど、私は父の背中を撫でて慰めようとした。

「すまない。私が全て悪いんだ。あおいにも、彩瀬にも、不条理な我慢を強いて……」
不条理な我慢。
それって、やっぱり……

「これ以上お母さんを傷つけたくなくって、ずっと見て見ぬ振りをしてきた。そのせいで彩瀬は……無駄に苦しんで……」
無駄……彩瀬の苦しみが無駄……。

以上の言葉から導き出せる結論は、一つ。
彩瀬と私は、一滴も血が繋がっていないんだ!やっぱり!

私は?
私の母はお母さん、これは間違いないと思う……似てるから。

そして父はお父さんじゃない!
一体誰?


あれもこれも聞きたかったけれど、泣いている父をさらに追い詰めて苦しめることになりそうなので、我慢した。

とりあえず、これだけはハッキリさせておこう。
「お父さん。私のお腹の子の父親が彩瀬ってことはとっくにわかってますよね?せめて私には教えてもらえませんか?彩瀬の本当のお母さんのこと。お墓参りぐらいさせてください。」

父は頭を抱えた。
「すまない。墓はない。彩瀬は不憫な女だった。」

「彩瀬……って言うんですか……」
これには驚いた。
実の母親の名前を付けたのか!

「ああ……いや、本名じゃない。源氏名が彩瀬だった。よく似合っていた……とても綺麗で憐れな女だった……」

源氏名!

私は絶望的な気分で目を閉じた。