彼は藤娘

渡り廊下を歩いてると、可憐に咲くドウダンツツジに目がいく。
あの木を植えた頃、彩乃くんのご両親は仲良しだったんだよね?
そんな時もあったはずやのに、どこでどう変わってしまったんだろう。
複雑な想いで可愛い白い雫(しずく)のような花を見てため息をついた。

「……なんか、思ってた以上にややこしい人やったみたいやな。俺の父親。」
彩乃くんがボソッとそう言った。

「私のお華の先生は、おっとりしたぼんぼん、ってゆーてはったけど。たった一つのワガママやったんちゃうか?彩乃くんのお母さまと一緒にいたい、ってゆーんが。」

ここに出入りして、いろんな人から話を聞きかじっていても、普段の穏やかさと恋への執着のギャップはあるようだ。

「まあでも、彩乃くんなんか普段からワガママ放題な上にしつこいやん。」

私がそう言うと、彩乃くんはムッとしたらしく、私の腕を掴むとカットソーの袖を肘まで捲った。
そして、私のやわ肌に自分の顎を擦り付けた。

「ちょー!痛いっ!何するのっ!痛い痛い!」
ぞりぞりと彩乃くんの1日分の無精ひげをこすりつけられたらしい。

「俺かて、いっぱい我慢してるっちゅーねん。」
そう言って彩乃くんは、そのまま私の腕に噛み付いた!

……信じらんない!
犬か!いや、猿か!

「野蛮人!ひどいー!もう~~~っ!」
ぷりぷり怒る私と対照的に、彩乃くんは自分の少しだけ出てるひげに触ってご満悦そうだった。

私の腕には、無数の小さな赤い点の内出血と、歯形が残った。

……キスマークじゃないのが私たちらしいのかもしれない。


この日、彩乃くんは昼まで寝て、またお稽古を始めた。
夕方には帰宅したが、翌日もその次の日も……結局、三連休全てをお家元でのお稽古に宛てた。

当然のように私も通う。

……世間は行楽シーズンだが、彩乃くんといる限りゴールデンウィークは潰れそうだ。



「マス部?mathematicsのマス?」
5月1日、なぜか1日だけ学校は平常授業となる。
……2日は創立記念日でお休みなんだし、どうせなら1日も理由作っちゃえばいいのに。
メーデーを休みにしたところで、日教組も組合もどこ吹く風な私学だし。

「うん。数学部じゃ敷居が高そうやから。はい、これ。部員勧誘のためにチラシ作った。」
燈子ちゃんと話していた奈津菜がそう言って、私にもチラシをくれた。

うわ!なに、これ!
シンプルながら、見るからに難しそうな図形の問題が大きくプリントしてある。
何年か前の、数学オリンピックの問題らしい。

「頭も目も拒否してる……パス!てか、なっちゅん、これ、わかるの?」
奈津菜を尊敬の目で見たけれど
「まさか!佐野先生に説明されても、全然わかんない。でも、挑戦することに意義があるから!」
……と言われて、笑うしかなかった。

まあ、がんばれ!