「彼女は、彩乃さんは可愛がっていました。でも、息子も、私も、社中さんも……この家の全てから逃げたがっていました。」
え?
「彩乃くんの実のお父さまのことも?もう嫌になってはったんですか?」
驚いてそう聞き直すと、お家元は悲しい顔をされた。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、でしょうね。彼女は何度も彩乃さんを連れて実家へ逃げ帰らはりました。もう本当に可哀想なぐらい、ここが嫌いやったんですね。でも息子は彼女に執着し続け、何度も連れ戻しました。その度に彼女は人形のように無表情になってしまわはった。……せやからね、明子ちゃん。私は彼女を、彩乃さんの母親を守ってあげられへんかった。自分の息子と孫かわいさに、彼女をこの家に縛り付けてしまいました。」
驚くぐらい逆じゃないか。
彩乃くんは、お父さまの死後お母さまが追い出されたと言っていた。
でもたぶんお母さまは自らの意志でこの家を逃げ出したんだ。
震える声で、お家元は続けた。
「前にも言うた通り、私は明子ちゃんの気持ちを尊重したいと思ってます。同じ過ちを繰り返したくないんよ。小さい頃から彩乃さんが明子ちゃんに執着してたことはわかってました。私も明子ちゃんが好きです。でもこの家を動かしているのは社中さんたちです。どうしても社中さんとは上手くやっていかなければ立ち行きません。あなたにその苦労をかけてしまうかと思うと……」
お家元の言葉が詰まった。
私は、無理に笑顔を作った。
「ありがとうございます。おばあさまのお気持ち、いつも温かくて……本当にうれしいです。今はまだ、中途半端な立ち位置で遠巻きに眺めているだけですが、おばあさまのおっしゃる苦労の意味はひしひし感じています。でも、彩乃くんがあんな態度なので、私が架け橋にならなきゃと思っています。おばあさまと、いえ、お家元と社中さんとの間の信頼関係を私も築けるように、教えてください。」
私の言葉に、お家元の表情が揺れた。
かぶりを振って私はダメ押しした。
「私、舞を習いたいって言ったら彩乃くんに反対されたんですよ。その時は淋しかったけど、今はそれでよかったと思ってます。私が習うべきは舞じゃなくて、お家元の処世術というか、運営方法と社中さんに対する気遣いだと思うんです。……教えていただけますか?」
お家元は、涙を見せないように顔を背けて拭ってから、黙ってうなずいた。
そして、顔を上げられると、しっかりした声でおっしゃった。
「彩乃さん。あなたのお父さまの『保名』、ご一緒にご覧になりますか?」
え?
お家元の視線を追うと、私の斜め後ろの障子の陰に彩乃くんが立っていた。
いつから!?
……私、変なこと言うたっけ?
ドキドキしてると、彩乃くんは首を振った。
「舞台の後でいいです。それより、俺に稽古つけてもらえますか?何か掴みかけてるんやけど、あと少し、足りひん気がするんです。」
彩乃くんの言葉に、おばあさまのお顔からお家元のお顔になった。
「わかりました。参りましょう。」
2人がお稽古場のほうへ移動するのを見送って、私はため息をついた。
え?
「彩乃くんの実のお父さまのことも?もう嫌になってはったんですか?」
驚いてそう聞き直すと、お家元は悲しい顔をされた。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、でしょうね。彼女は何度も彩乃さんを連れて実家へ逃げ帰らはりました。もう本当に可哀想なぐらい、ここが嫌いやったんですね。でも息子は彼女に執着し続け、何度も連れ戻しました。その度に彼女は人形のように無表情になってしまわはった。……せやからね、明子ちゃん。私は彼女を、彩乃さんの母親を守ってあげられへんかった。自分の息子と孫かわいさに、彼女をこの家に縛り付けてしまいました。」
驚くぐらい逆じゃないか。
彩乃くんは、お父さまの死後お母さまが追い出されたと言っていた。
でもたぶんお母さまは自らの意志でこの家を逃げ出したんだ。
震える声で、お家元は続けた。
「前にも言うた通り、私は明子ちゃんの気持ちを尊重したいと思ってます。同じ過ちを繰り返したくないんよ。小さい頃から彩乃さんが明子ちゃんに執着してたことはわかってました。私も明子ちゃんが好きです。でもこの家を動かしているのは社中さんたちです。どうしても社中さんとは上手くやっていかなければ立ち行きません。あなたにその苦労をかけてしまうかと思うと……」
お家元の言葉が詰まった。
私は、無理に笑顔を作った。
「ありがとうございます。おばあさまのお気持ち、いつも温かくて……本当にうれしいです。今はまだ、中途半端な立ち位置で遠巻きに眺めているだけですが、おばあさまのおっしゃる苦労の意味はひしひし感じています。でも、彩乃くんがあんな態度なので、私が架け橋にならなきゃと思っています。おばあさまと、いえ、お家元と社中さんとの間の信頼関係を私も築けるように、教えてください。」
私の言葉に、お家元の表情が揺れた。
かぶりを振って私はダメ押しした。
「私、舞を習いたいって言ったら彩乃くんに反対されたんですよ。その時は淋しかったけど、今はそれでよかったと思ってます。私が習うべきは舞じゃなくて、お家元の処世術というか、運営方法と社中さんに対する気遣いだと思うんです。……教えていただけますか?」
お家元は、涙を見せないように顔を背けて拭ってから、黙ってうなずいた。
そして、顔を上げられると、しっかりした声でおっしゃった。
「彩乃さん。あなたのお父さまの『保名』、ご一緒にご覧になりますか?」
え?
お家元の視線を追うと、私の斜め後ろの障子の陰に彩乃くんが立っていた。
いつから!?
……私、変なこと言うたっけ?
ドキドキしてると、彩乃くんは首を振った。
「舞台の後でいいです。それより、俺に稽古つけてもらえますか?何か掴みかけてるんやけど、あと少し、足りひん気がするんです。」
彩乃くんの言葉に、おばあさまのお顔からお家元のお顔になった。
「わかりました。参りましょう。」
2人がお稽古場のほうへ移動するのを見送って、私はため息をついた。



