彼は藤娘

放課後はお家元を訪ねた。
……いつもは土曜に来ているのだが、今週は連休に入る前に来た。

「明子ちゃん。いらっしゃい。今週は、卯の花来てるえ。全部終わったら一緒にお茶にしましょう。」
お家元にご挨拶すると、発表会前でお忙しいだろうにそう言ってくださった。

私は、早速お花を開ける。
卯の花、アイリス、ショウブ、フリージア、小手毬(こでまり)、山吹、菊。
さあ、どう合わせようかな~。
うきうきと楽しみながら、いつも通り六ヶ所のお花を活けて回った。

今年の1月に華道師範の看板をいただいたけれど、普段のお稽古だけでは実感できない確かな手応えをココではヒシヒシと感じる。
こちらにお稽古にいらっしゃる社中さん、それも年輩のかたほど華道をご存じのかたが多い。
いろんな人の目を意識して、空間を彩る花を選び活けていくのは、本当にやりがいがあり楽しかった。

……しかも、バイト代を倍にしてもらえて……感謝でいっぱい。

「あの~、彩乃くんのお父さまの『保名』、見せてもらえますか?」
彩乃くんがまだ社中さんのお稽古を見ている隙に、私はお家元にそうお願いしてみた。

「あら、どうしたの?」
お家元が椿餅を取り分けてくださった。

「わ♪これ、好き!」
白い道明寺のお餅を青い椿の葉で挟んである、シンプルだけど清々しいお菓子だ。

「ふふ、よかった。」
お家元と微笑み合ってから、私は師から聞いた話をしてみた。

「……そう。明子ちゃんの先生がそんな風におっしゃったの……。よく見てくださってたのね。」
お家元が、遠い目をしてそうおっしゃった。
少し目が潤んでらっしゃる気がする。

「おっしゃる通り、あの頃の綾之助さん……息子は普通の状態じゃありませんでした。彩乃さんの母親が……当時はまだ16歳の和裁専門学校の学生さんでした……彼女との恋を周囲から反対されていて、彼女は親戚のお家へ逃げてしまわはりました。あの舞台は、音信不通のまま4ヶ月ぐらいたってた頃でした。」

お家元が話してくださった話はあまりにも重くて、私は小さな椿餅を飲み込むのにすごく時間がかかってしまった。

「それって、リアル『保名』じゃないですか!」

……まあ、彩乃くんのお母さまは死んではいないけど、姿を消したなら同じことだろう。
お家元は苦笑された。

「そうですね。まだ若い2人やし離れたら落ち着く思うたんですけどね、彼女はともかく息子は忘れてはくれませんでした。」

微笑みが消える。

「舞台が跳ねた後、息子は姿を消しました。見に来てくれてはった彼女のお友達から居所を聞いて飛んで行ってしまいました。」

喉がカラカラになってしまったけれど、お茶に手を伸ばすことができない。

お家元は、淡々と続けた。
「息子が彼女と産まれたばかりの彩乃さんを連れて帰ってきたのは、半年後でした。」

……何か、彩乃くんから聞いた話と微妙に時系列が違う気がする……って、どう考えてもお家元の話が正確っぽい。

私はドキドキしながら続きを聞いた。