彼は藤娘

「あきも、食べて。せっかく買うてきたから。」
「え?彩乃くんが買うてきたん?そんな時間あるの?」

今日は、衣装を付けての通し稽古。
みんな本番さながらの緊張感を醸し出してるのに。

「俺、最後やもん。これ、チョコレートのチーズケーキ。好きやろ?」
……好き。
でも懐かしい。
前に食べたのがいつだったか思い出せないけど。
あれ?
もしかして、ちっちゃい頃、こんな風にここでよばれてた以来なのかな。
あの頃のことを、私はほとんど覚えてないけど、彩乃くんはすごくよく覚えているから。

「ありがとう。」
彩乃くんの気持ちがうれしいことを伝えるのに、このありふれた言葉だけでは足りない気がする。
最近よくそんな風に感じるようになった。

彩乃くんの番が近づき、社中さんが呼びにきた。
「じゃ、頑張ってね。明日の舞台、楽しみにしてる。」

顔付きの変わった彩乃くんを送り出してから、私もまたお部屋を出た。
残ったお花がもったいないので、廊下やトイレ、水屋にも挿してから辞去。
……地味かなあ。


翌朝、私は朝から気合いを入れて髪をまとめる。
彩乃くんから、発表会に着てくるように言われて渡されたお着物は、金刺繍の紋のはいった色留袖。
当然、芳澤の定紋だ。

「明子、その着物……」
出がけに母が気づいたようなので、私はあえて笑顔で彩乃くんが挨拶に来たがってる旨を伝えた。

「彩乃くんって……」
絶句してる母を残して、私は逃げるように飛び出した。

……道行きかお羽織で隠せばよかったかな。

電車の中で、燈子ちゃんからのラインを見る。
昨日、燈子ちゃんたちダンス部は、東京のコンクールに参加するために出立した。
珍しく興奮してる燈子ちゃんが可愛いかった。
燈子ちゃん達の出番はお昼過ぎ。
健闘を祈る!

さて。
ちょうど同じタイミングで彩乃くんからもライン。
場当たり(ゲネプロ)が終わったらしい。
セルジュや竹原くんと一緒に楽屋を訪ねる旨を伝えたけど、読んでないみたい。
さすがに当日は忙しいのかな?

登校時のように、桂駅で降りてしばし待つ。
美丈夫・竹原くんがビシッとスーツで登場した。

「かっこい~!」
思わずそう言うと、竹原くんは少し驚いた顔になった。

「あきちゃんに、はじめて褒められたわ。うれしいけど、彩乃(あいつ)の前では、シーッ!ね。」
「そうやっけ?」
「うん。あきちゃん、彩乃しか目に入ってへんみたいやし。ちなみに、その着物って……」

竹原くんの指先がピンポイントで左前の紋をさしていた。