彼は藤娘

それからの彩乃くんの行動は素早かった。
すぐに洋服に着替えてお家元を出ると、歩きながら自宅に電話を入れていた。

私も促され、母に遅くなる旨を伝える。
電話を切ったあと、彩乃くんがボソッと言った。
「悪いな。舞台終わったら、挨拶行くから。」

「……いいよ、まだまだまだまだ。」
何となく、彩乃くんに周りから固められてるような、そんな気になってきた。

地下鉄と阪急で移動して、彩乃くん家に到着したのは、18時過ぎ。
駅から西へ5分のタイルとガラスの印象的な造りの建設会社だ。
……燈子ちゃんは毎朝毎晩この道を自転車で疾走してるのね。

「一階の半分が会社。奥は俺のお稽古場。2階と3階が自宅。」
鈍色の重いガラスのドアを開けながら、彩乃くんが説明してくれた。
「日曜はほぼ休みやから、今日は誰もいいひんけど、普段はガチャガチャしてるわ。」

わ!広い!
応接スペース、事務机が8つ、ガラスで区切られた大きなテーブルのスペースと書庫のようなコーナー。

彩乃くんは、会社部分を突っ切って、壁にように見える天井までの引き戸をスッと開けた。

「うわ~~~~!ひろ~~~い!」

広い事務所がせせこましく感じるぐらい、だだっ広~い板張りのお部屋。
燈子ちゃんたちダンス部の練習してる鏡の間より広いし。

「これ、彩乃くんだけが使うてるん?」
もったいない、という言葉を飲み込んだ。

「ああ。狭いとこでお稽古したら踊りが小さくなるって親父(おやじ)が作ってくれた。」
「……豪快なお継父(とう)さまやねえ。」
……って、なさぬ仲のお継父さまと仲良しなんや。

彩乃くんが、お稽古場の電気をつけて、荷物を置いた。
「とりあえず、上、行こうか。」

階段を上がったところに玄関スペースがあり、そこで靴を脱いだ。
「ただいま。」
「お邪魔します。」
そう言いながらついて入ると、会社スペースともお稽古場とも違う、温かい雰囲気のかわいいお部屋。

「おかえりなさい。」
と、か細い声のお母さまが、奥のダイニングキッチンから飛び出してきた。
……想像以上に可愛らしいというか、華奢で弱々しそう。

「はじめまして!村上明子です!突然おじゃましてしまって、すみません!」
「元気なお嬢さんやん。彩乃の継父(ちち)と母です。仲良ぉしてくれるか。」
お母さまの背後から現れた、いかついおじさんがそう言った。

「こちらこそ、お願いします!」
私が深々と頭を下げてる横で、彩乃くんは
「あきの分もご飯してくれた?ほな、喰ったら下でお稽古するし。親父、20時にはあきを送ってやって。頼むわ。」
と、段取りを告げながらダイニングキッチンに入ってった。

「……すみません、ご迷惑をおかけします。」
もう一度私がご両親に頭を下げると、

「いや、うちの坊主(ぼうず)がお嬢さんを振り回してるのはよくわかってるから。こちらこそ、すまんね。」

……坊主……彩乃くんが、坊主……。

そぐわなさすぎて、私はつい笑ってしまった。

何だか、楽しいお継父さまみたいでよかった。