彼は藤娘

♪いとし可愛のよい殿御ぶり ほんにお前を誰が抱て ぬるでの紅葉色見草 他所の恋路のねたましや♪
何度か聞いていると、ところどころの言葉を聞き取れて、ドキドキしてくる。
色っぽいのよね、やっぱり、彩乃くん。

♪そもや誠が露程あらば 二世も三世も神かけて 忘るゝ隙はないわいな♪
うっ……忘れたことを非難されてる……。
「誠」、あるよ。
好き。

きっかけは一目惚れやけど、彩乃くんのわかりにくい優しさとか、なかなか言葉にしてくれない想いに触れると、好きにならずにいられない。

しかも、あんなにも恋い焦がれた藤娘が、こんなにも素敵に化けちゃって。
私は、彩乃くんの邪魔をしないように、何度も涙を拭った。

……まあ、彩乃くんの集中力すごすぎて、私が例え話しかけても耳に入らんやろけど。

私もまた、そんな彩乃くんに見とれて時間の感覚を失った。


ふうっとため息をついた彩乃くんの背中から力が抜ける。
扇をたたんで、彩乃くんは腰をおろすと、時計を見た。

……終わりかな?
そう思ってると、彩乃くんがこっちを見て、驚いたらしい。

「何でいるん?帰れっちゅうたやん。」
「……見とれてた。今、何時?」
「マジか……。」

彩乃くんはため息をついて時間を告げた。
「9時過ぎてる。家、心配してはるんちゃうか?電話しぃ。」

9時!?
……何時間たったって?

さすがに驚いて、私は携帯電話を取り出し、家に電話を入れた。
今日はお家元のお手伝いと伝えてあったから心配はしてないようだったが、夕食が要るか要らないのかわからないからもっと早く連絡するように、と怒られた。

私が電話をしている間に、彩乃くんはお稽古場を片付けて、帰り支度を整えていた。
屏風の影で洋服に着替えて、着物をきちっとたたむと大きな風呂敷に包んでかばんに入れた。

「行くで。」

そう言われて、私は立ちあがる……いや、立ち上がろうとした。
が、完全に足が痺れてしまい、カクンと膝から崩れてしまった。

「た……てへん。」

彩乃くんは、苦笑した。
「まさかと思うけど、ずっと正座やったん?」

私は両手をついて、四つん這いになった。
「うん……足崩すの忘れて見とれてた。けっこう正座には慣れてるほうやねんけど……さすがに……」

彩乃くんは私の足をマッサージしてくれた!
や、あの、めっちゃ恥ずかしいんですけど……。

「あの……いいよ……」
ジャージならともかく、制服のスカートなので、すごく恥ずかしい。
遥香と違ってパンストもはいてない私は、生足に白い靴下のみ。
何となく、スカートのすそをこっそり押さえてしまい、ますます意識してしまう。

でも彩乃くんは、丁寧にスポーツマッサージのようにこわばった筋肉をほぐし、血流をよくしてくれた。

「足、太いし、恥ずかしい。」
私がそう言うと、
「太くはないけど、まあ、立派な筋肉やな。あの坂、毎日登ったらこうなるか?」
と、笑われた。