彼は藤娘

「彩乃さん!」
鋭い叱責の声がお家元から飛んできた。

……もしこの時、お家元が怒らなかったら、私は彩乃くんの存在に驚き過ぎて、声をあげるか、あとお2人分のお茶ごとお盆をひっくり返したかもしれない。

お家元の恐ろしさに、私は顔をこわばらせたまま、お茶をお出しした。

8人めは師の師だったので、ため息をついて苦笑した。
「あやのちゃんって、彩乃くんやったんですね。」
小声でそう言うと、師の師がふふっと笑った。

……確信犯かよ。

お茶出しを終えて水屋に引っ込むと、私は頭の中でもつれにもつれた糸を解こうとした。
つまり、梅宮彩乃くんは、私が昔一目惚れした『藤娘』の芳澤あやのちゃんと同一人物だった、んだよね?

彩乃くんは、気づいてたんだ。
だから、親切にしてくれたのかな。

盛大に自惚(うぬぼ)れてた分、私は、何だかドーンと落ち込んでしまった。
単に、幼なじみに対する懐かしさと友情、か。

ひどいな。
もっと早く教えてくれたらよかったのに。
彩乃くんをこんなに好きになる前に。

涙がぶわっと両目から溢れ出す。

さっき私を家元のほうへ行かして自分はお三味線のかたがたにお茶を出していた社中さんが、ぎょっとして、慌てて私の背中をさする。
「大丈夫大丈夫。あなたのせいじゃないから!家元が彩乃さんにきついのはいつものことやから!彩乃さん、全然気にしはらへんから!」

いつも……いつも、あんなにきっついの?
孫やのに。
私は、涙を拭くハンカチを取り出そうとして、携帯の着信ランプに気づいた。

彩乃くんからのラインだ。

さっきの私の写真をアップして、
<また自撮りして寄越さんかったな。せっかく着物似合うんやし、ちゃんと送って来いよ>
と、記されていた。

<遊んでるとまた怒られるで。>
そう送ると、
<気にせんでええ> 
と、彩乃くんらしい返事。

<宿題解けた。>

私がそう入力すると、彩乃くんは速攻で
<遅いわ>
と寄越した。

<いつから気づいてたん?>
そう送ると、彩乃くんは

<夏休み、電車の中>
に続いて

<あとで。帰るなよ>
と寄越して、会話が途絶えた。

夏休み、電車の中。
私が彩乃くんに目を奪われたあの時。

……そっか。
あの時使ってたお扇子。
そういえば、あれは、あやのちゃんの舞扇とお揃いやったっけ。

すっかり忘れてたのに、少しずつ思い出してきた。
彩乃くん。
もうすぐ、副家元って言うてはったよね。

あかん。
釣り合わないにも程がある。
私は、またこみ上げてきた涙を拭った。

16時半に、今日の試験は終わったらしい。
他の社中さんとともに大広間へと湯呑みを下げに行った。

彩乃くんは、いなかった。
幹部連中で採点の集計をしているらしい。