彼は藤娘

ちらりと彩乃くんを見る。
私たちはいくつになっても、ずっとココ、京都で共に生きてゆけるのだろうか。
「京都は守られてる」というよくわからない民間信仰があるが、大地震も空襲もほとんどなかったとは言え、街中が焼ける大火事は何度もあったのだから、絶対安泰とは言えない。

それでも、私たちはココで、この芳澤流を守れるのだろうか。

先のことはわからない。
突然の天災や人災で命を失われる可能性は、誰にも等しくある。


「燈子ちゃんは、まじめやな~。好きな男と一緒にいるだけじゃ、あかんにゃ。」
義人くんが、どこから持ってきたのかロックグラスに水割りを作って飲みながら言った。

「飽きるやん。相手も。私も。それぞれの仕事とか世界を持って自分で立って、お互いをリスペクトして支え合いたい。」
燈子ちゃんはそう言って、義人くんの水割りに手を伸ばした。

「俺も。」
彩乃くんも水割りを欲しがる。

「私も!」
奈津菜も挙手し、私もにっこり笑って義人くんにアピールした。

「……はいはいはい。あきちゃん、グラスとピッチャーの場所教えてくれる?みんなで1本あけちゃおうか。」
「うん!何かすごくいい香りしてるのよね。それ、何?」

義人くんと一緒に流し場へと向かいながら聞いた。

「無一物。壱岐焼酎やで。」
「え!?ウィスキーやと思ってた!」
「せやろ?馴染みの立ち飲み屋で教えてもろてん。俺の今のお気に入り。加水と原酒があって、この原酒の香りがいいねん。」

……立ち飲み屋に行くのか!義人くん!意外~~~!
義人くんから受け取った黒い瓶のラベルには、確かに漢字で「無一物」と書かれていた。

「禅語やね。『本来無一物』。」
「『無一物中無尽蔵』かもな。」

人間は本来、何も持ってない。
なのに、人や物や立場に執着してしまう。
何にも執着しなければ、心も体も自由になれるのだろうか。

大学も家族も友達も、生活基盤をみんな捨てても、上垣さんを追いかけたい遙香。
離婚した音楽教師や母親と引き離された子供の苦しみの上に、佐野との再婚を望む奈津菜。
テオさんと一緒にいたいのに、自分に自信を持ちきれずニューヨークに行けない燈子ちゃん。
……私と彩乃くんの共依存のような関係も……また、執着……か。




四回生になった。
彩乃くんはますます忙しくなった、らしい。

私は、既に卒業に必要な単位は取ってるので、あとはゼミ、演習、そして趣味でいくつかの講義のみ。
大学には、週2日しか行かなくてもよさそうだ。

卒論のテーマは、「あやめ草」。
安直だけど、諸先生方の勧めに従った。

……当然だけど、資料はお家元に揃ってるし。