彼は藤娘

……どうやら付けてないらしい。
「ごめん、忘れてた。」

「……お家元が……若いんやから失敗してもいいんよ、って……誤算でも早く妊娠するのを待ってはるよ。」
苦笑してそう言うと、彩乃くんは複雑な顔をして、ため息をついた。

「もしかして、俺、家元らに唆(そそのか)されたんか?」
「パーティーで、何か言われた?」

彩乃くんは、私の背中に顔をうずめた……彩乃くんの柔らかい髪が背中にくすぐったい。
「あきが、俺のせいで幹部連中に虐められてて、ストレスと過労で倒れた、って。」

うーん……それ、微妙。
全然違うとは言えへんけど、正確じゃない。
虐められてる、とは思ってへんよ。
単に受け入れてくれない先生方もいた、だけ。

でも、大丈夫。
私も変わるし、先生方の対応も変わらはるはず。
いや、変わっていただいてみせる。
「女大学」だろうが秘書検定だろうが、やってやろうじゃないの。

「彩乃くんは、課題大変やろうけど、なるべくお家元に顔を出してね。そしたら、先生方もお家元も私もうれしいから。みんなご機嫌さんで仲良く過ごせるから。」
私の言葉に、彩乃くんは頭をかきむしった。
「……努力します。」




3回生の秋、土曜日。
奈津菜がふらりと芳澤流のお家元に立ち寄った。

お稽古中の彩乃くんが勧めてくれたので、奥の彩乃くんのお部屋へ案内した。
「久しぶり。燈子ちゃんも、いるの?」
化粧が板に付いて、奈津菜は口調も雰囲気もおとなびて見えた。

「もうすぐ来ると思う。どしたん?おデートの帰り?」
……誰とのデートかは、敢えて聞かない。

奈津菜は、苦笑した。
「ううん。デートは昨日やった。今日は、偵察の帰り。」
「偵察とは、穏やかじゃないね。……何かあった?」

うん……とかすかにうなずいて、しばらくうつむいていた奈津菜は、意を決したように顔を上げた。
「佐野先生、離婚するみたい。奥さん、出て行ったって。」

え!
音楽教師、出て行ったって?
えーと、結婚して丸3年はたってる?4年めか。

「何で?佐野の浮気がばれた?」
奈津菜は肩をすくめた。
「まさか。嫁姑関係が最初からうまくいってへんかったらしい。佐野先生のお家、老舗の呉服屋で、出来ちゃった婚だし、つらく当たられてたみたい。」
あ~……。

「子供は?」
「佐野先生のお母さまが手放さないって。」
……はあ~。

「で?なっちゅんは?どうするの?……まだ、佐野が欲しいの?怖い姑と他の女の子供付きでも?」

奈津菜は伏し目がちに言った。

「……待ってたから。もう、放さない。誰にも、渡さない。」