彼は藤娘

やっと大通りまで出たところで赤信号につかまったので、周囲のバス停を見回す。
折しもお彼岸、バス停はすごい人だが、あの人はいない気がする。

電車?

信号が青に変わるのを待って、私は再び走り出した。

いない!
いない!
いない!

転がるように走り続けて、はるか前方にそれっぽい人を見つけた。

いた!

さらに走って、やっと追いついたのは博物館を通り過ぎた広小路。

「待って!あのっ!」

……名前もわからない。
でも、無理矢理、用件は作ってきた。
私は、彼の目の前に回り込んで立ちはだかり、バインダーを突き出した。

「アンケート、お願いしますっ!」
息が上がってものすごく苦しい。
ハアハアと荒い息をなるべく抑えるけど、流れる汗まではどうしようもない。

ものすごくみっともないことを自覚しながらも、私は顔を上げた。

彼だ。
やっぱり、彼だ。

何で、こんなに白くて綺麗なんだろう。
あ……目が……思ったより色素が薄い。
ちょうど西から差し込む夕日が彼の瞳に反射して、榛(はしばみ)色に輝いていた。

綺麗……。
見とれてぼーっとしてしまう。

興奮と恥じらいで頬が紅潮してるのを感じるけど、それ以上に思いっきり走ったことで頬どころか頭も首も真っ赤になっているだろう。
心臓もドキドキしてるけど、それも疾走による動悸と一緒になってて、わけがわからない。
すっかりパニクってる私に、彼はふっと表情を和らげた……気がした。

「俺、書こうか。」
彼の隣を歩いていた男の人がそう言って手を出したけど、

「いや、ええわ。」
と、彼は言って、他の人の邪魔にならないように、脇へ移動した。
そしてバインダーに挟んだボールペンを取り、アンケート用紙に記入してくれた。
数分かけて彼はアンケートを書き終えると、私に返した。

「これでいいか?」
私はバインダーを胸に抱きしめて、コクコクッと首を縦にふった。

もう息は整っているのに言葉が出ない。
口を開くと、心臓が出てきそう。
……まあ、汗はたらたら流れてるんだけど。

「……ご苦労さん。」
そう言った彼の口調と目がすごく優しく感じて……私の心臓が爆発するんじゃないかというぐらいバクバクと鳴り始めた。

ダメだ。
これ以上は、無理!

私は、深々と頭を下げて
「ありがとうございましたっ!」
と叫ぶと、そのまま踵(きびす)を返して、走り出した。

「え?それだけ?もういいん?」
彼と一緒にいた男の人が、驚いてそんな風に言っている。

けど、私は振り返ることもできず、ひたすら逃げるように走って坂を登った。
人波に逆らって、ただ走り続けた。

息ができない。
苦しい。

これは、恋なのだろうか。
一目惚れ、でいいのだろうか。

自分でも意味がわからない。
わからないけれど、こんな馬鹿なことをしでかしてる説明がつかない。

たぶん、これが、初めての、恋!