私と明彦は土手の下で、毎朝、待ち合わせをする。
ふたりで鞄を枕代わりに寝転び、青空を見上げながら他愛もないお喋りに興じる。時には校庭や林の中を巡ることもあった。私は明彦に花や木の名前を教え、共にその儚さを語ったり、生きていることの素晴らしさを共感したりした。雨の日には教室で、ある小説の解釈について熱く議論を交わし、互いに勉強を教え合うこともあった。
朝の日課が終わると、私達はまるで何事もなかったかのように、2Bの景色の中に溶け込んだ。そのうち明彦もクラスメイトと次第に打ち解けるようになり、変わらず女子からの人気もあった。

今朝も私達は校庭をふたりで散策していた。
今にも雪が降り出しそうな、冷たい朝だった。
「最近、どうなの?クラスには慣れてきた?」
「うん、純也がさぁ、天文部に入らないかって、誘ってくれてるんだ」
「天文部?そういえば中原君、天文部の副部長だものね。山口君、中学の頃も天文部にいたんでしょう?」
「ああ、中学の頃は三年間、ずっと天文部だった」
中原純也というのは、同じクラスの優秀な男子生徒で、生徒会の副会長も務めている。学年ではトップクラスの成績の生徒だ。明彦も勉強はできたが、純也にはどうやら敵わないらしい。
「でもさ、うちの親が何かとうるさいだろ。だから今、ちょっと迷ってる最中」
「そう、でも中原君が誘ってくれているなら、入ってみれば?」
「うん、そうだな」
「ねぇ、今度、日曜日にプラネタリウムに行かない?星のこと色々教えてよ」
「いいよ、このあたりだと、何処が一番近いんだろ?」
「確か四つ先の緑台駅の学習センターの中にあったと思うわ。私ちゃんと調べておく!」
「結構、近くにあるんだな。さすがに俺もプラネタリウムは小学校以来だよ。昼間はこうして何も見えないように見えるけど、この空には無数の星があるんだ。目に見える星の数なんて、たかが知れてるさ。宇宙のレベルで考えてみれば俺達人間なんて、本当にちっぽけな存在なんだよな」
「ふーん、星とか宇宙って、何だかロマンチック」
「やっぱり小川さんも、一応、女の子なんだね」
「ひどいなぁー、山口君」
「そう怒るなって。本当に面白いよ。この銀河系には二千億っていう星の数があるんだ。星にまつわる神話なんかも、調べてみると、結構、奥が深いんだ」
「星って二千億もあるの?私、そんなこと全然知らなかった」
こうして明彦の新たな一面を知ることは、私にとっての喜びであり、温かく切ないものがこみ上げた。

花壇の前までくると、私は足を止めしゃがみ込んだ。
「わぁ、見て。もう、クロッカスが咲いてる」
「この花、クロッカスっていうの?」
「そう、花言葉は“信頼”とか、“青春の喜び”っていうの」
「“青春の喜び”か、いい花言葉だね」
その時、徐に雪が舞い始め、私は天を仰いだ。
「雪だわ…」
私は掌で雪を掴むと、静かに目を閉じた。
「何してるの?」
「おまじない。あのね、こうして手の中で雪が溶けないうちに、願い事を三回繰り返すと、その願いが叶うんだって。小学校五年生のクリスマスイブにね、偶然に出逢った男の子が教えてくれたの」
「へぇ、そうなんだ」
「これ…」
私は鞄から表紙の擦り切れた本を取り出した。
「これね、その男の子がくれたものなの」
「『十二夜』か。こんなボロボロになるまで、良く持ってたな」
「うん…その男の子にもう一度会いたくて、何度も読み返したわ。その子の寒さで手が真っ赤でね。本をくれたお礼に、私は白いミトンの手袋を渡したわ」
「初恋ってやつか」
「そうだったのかもしれない…」

明彦にならどんなことでも自然に話せた。彼と過ごす時間は穏やかで、満ち足りたものだった。明彦もまた同じだったに違いない。毎日が陽光に包まれたような日々で、怖いくらいだった。私は美奈子や他の友人達に後ろめたい気持ちがない訳ではなかったが、それ以上に、明彦との“秘密の日課”は、甘美な時間だった。こんな日が永遠に続くことを、私は心の中で願った。