俺達は十二時近くまでバーで話をし、店を後にした。暖房の効いていた店内から一歩外に出ると、外はかなり冷え込んでいた。
俺は首にしていたマフラーを取ると、彼女の首に巻き付けた。
「有難う、明彦は寒くない?」
「こうして凛子と一緒にいられるだけで、充分、暖かい」

目黒通りまで出ると再びタクシーを拾い、滞在している帝国ホテルに向かった。
部屋に入るとドアにもたれ掛かったまま、俺は彼女にそっと口づけをした。
「ごめん…」
彼女は静かに首を横に振った。
俺は彼女の手を取り窓際へと誘った。眼下には東京の夜景が輝いている。
後ろから強く抱き締めると、彼女の髪からは、あの頃と同じバラのシャンプーの香りがした。
「今、どんな気持ち?」
「幸せ過ぎて、何だか怖いくらい…」
「大丈夫。俺が付いてるから、安心して」
「ええ…」
俺達はルームサービスで、ビーフシチューのセットとシャンパンを頼んだ。
料理が運ばれてくるまでの間、窓際のテーブルに向かい合わせに座り、窓外の夜景を眺めた。
「なぁ、さっき矢沢、何て言ってたの?」
「うん?自分の気持ちに素直になりなさい…って」
暫くすると部屋のチャイムが鳴り、料理がワゴンに乗せられて運ばれてきた。
「こちらのケーキは、当ホテルからのささやかなクリスマスプレゼントです。どうぞ素敵な夜をお過ごし下さいませ」
ボーイはそう言って、ふたつのグラスにシャンパンを注ぐと丁寧に頭を下げ、部屋から去って行った。俺達はグラスを片手に乾杯をした。
「メリークリスマス。今夜は今までの人生の中で最高の夜だよ」
「メリークリスマス。私もこんなに幸せな気持ちの夜は生まれて初めて」
俺達はグラスを傾けながら、ゆっくりと料理を楽しんだ。料理を食べ終わると、クリスマスケーキにロウソクを立てマッチで日を灯した。部屋の灯りを消してケーキを囲み、聖なる夜をふたりで祝った。
ケーキを食べ終わると脳が満腹感で満たされ、俺達はベッドの上にごろりと仰向けに寝そべった。
「こうしていると、あの頃に戻ったみたいだな」
「本当、あの頃と同じだわ」
俺達はいつの間にかあの頃の土手にいた。どちらからともなく手を取ると静かに目を閉じた。そしてふたり、遠い記憶の中の青い空を眺め続けた。

気が付くと俺の瞼を一条の光が照らしていた。凛子はバスローブ姿でカーテンの隙間から窓外を眺めている。
俺はベッドから起き上がると、スーツ姿のまま彼女に近付いた。
「おはよう、明彦」
「おはよう。良かった、いなくなったりしていなくて。俺達、あのまま眠っちゃったんだな」
「ええ、そうみたい」
「ちょっと、シャワーを浴びてくるよ。待ってて」
シャワーを浴び終えバスローブを着て浴室から出てくると、彼女は備え付けのポットで紅茶を注いでいた。
「紅茶でいい?」
「うん、有難う」
俺達は窓際のテーブルに向かい合わせに座った。
「明彦と迎えた初めての朝だわ」
「そうだな」
窓外に目を向けると昨夜降り出したのか、街全体が雪景色に包まれていた。空に輝く太陽がうっすらと東京の街に積もった雪を溶かし始めていた。俺達は太陽の光の降り注ぐ窓辺で、ゆっくりと紅茶に口を付けた。
「凛子、目をつむって」
「どうして?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「いいから早く」
「分かったわ、こう?」
俺はバスローブのポケットから小さな箱を取り出すと、目の前のテーブルの上に置いた。
「目を開けてごらん」
「何、これ?」
「俺からのクリスマスプレゼント。受け取って貰えるかな?」
「開けてみてもいい?」
「ああ」
「これ…」
彼女は驚いた様子で、手に取った箱の中身をじっと見つめた。俺は向かいの彼女のもとへ行くと、肘掛けに腰を下ろし、彼女の左手を取った。
「もう一度だけ言うよ。俺と結婚して欲しい。一緒にロンドンまできてくれないか?」
彼女の頬を一筋の涙が伝った。
「答は?」
「勿論、イエスよ」
そう言うと、彼女は俺の首に腕を回し、あの函館の夜と同じように口づけをした。
俺達は途轍もない遠回りをしながら、再びこうして永遠の愛を誓い合った。
君が昼間の太陽なら、俺は夜空の流星となって君を守り続ける。もう二度と悲しませたりしない。
そこは夜の帳の中ではなく、冬の柔らかな朝陽の降り注ぐ、ふたりだけの世界だった。