高校を卒業してから花が好きだった私は、ブライダルフローリストを目指し、フラワーアレンジメントの専門学校へと進んだ。現在は恵比寿にあるウエスティンホテルでブライダル装花の仕事をしている。
私は勉強のためにイギリスの地にも何度か足を運んだ。誰かにメールで連絡さえ取れば明彦の居所は容易に分かった筈だが、私はあえてそれをしなかった。例え彼と会ったところで、過去を塗り替えられる訳でもなく、前途有望な彼に余計な負担を掛けたくはなかった。
あの日以来、彼の太陽でいられなくなってしまった私は、いつの日かもう一度彼の姿を遠くからそっと一目見られればそれでいい。
絶えずそう自分に言い聞かせ、今日までを生きてきた。毎年彼の誕生日には必ず部屋を花でいっぱいに飾り、悠遠の地にいる彼の成功を祈り続けた。
あれから八年という歳月が経とうとしていた。昨夜、仕事から家に帰ると、結衣から久しぶりのメールが届いた。

凛子へ
久しぶり、元気にしてる?
実はね、私と輝、十二月に結婚する事になりました。結婚式には凛子にもどうしても出席して貰いたくて、招待状を送りたいから、住所を教えて貰えない?
結衣

私は、昨夜一晩迷った。
結婚式には必ず明彦も出席する筈だ。たった一目でいい、彼の姿をこの目で確かめたかった。
窓際を離れると、私はテーブルの上の携帯電話を手に取った。意を決し、住所と共に八年振りのメールを結衣に送った。

結衣へ
結婚おめでとう。八年もの間、結衣達は何度もメールをくれたのに、一度も返事を返すことができなくて本当にごめんなさい。家の事情で立て続けに色々な事があり、少し精神的に参っていました。昨夜の結衣からのメールで、十二月に結婚する事を知り、とても嬉しく勇気を出してメールしました。私は東京で無事に高校を卒業後、フラワーアレンジメントの専門学校へと進み、今はブライダル装花の仕事をしています。是非、結衣と輝君の結婚式に、ブーケとブートニア、それと会場の装花を私にやらせて貰えませんか?私は裏方としてふたりを祝福したいと思います。
凛子

三日後に結衣から結婚式の招待状と手紙が届いた。式は十二月二十四日のクリスマスイブに、信濃町の明治記念館で神前式にて行うとの事だった。結衣はせっかくのクリスマスイブを選んだのだから、チャペルのあるホテルで式を挙げたかったそうだが、輝がどうしても袴を着たいと言い張り、結局、神前式を選ぶ事になったのだそうだ。その後の披露宴でのブーケとブートニア、そして会場の装花は是非とも私にお願いしたいと手紙には書かれていた。
ふたりは聖南大学を卒業後、世田谷でお互い仕事をしながら、同棲を続けていたらしい。輝は商社に就職し、結衣は事務の仕事をしていたそうだが、三ヶ月程前から体調が思わしくないので病院に行ったところ妊娠が発覚し、遂に結婚を決意したのだという。今は退職して実家に戻り、結婚式の準備に毎日忙しく追われているそうだ。結婚式には私達仲間の他にも、朋子や柴田先生も招待するとの事だった。手紙には明彦の事も書かれていた。彼がイギリスへ留学してからはパソコンでメールのやり取りをし、こちらへ帰国する度に必ず五人で会っていると書いてあった。彼は向こうで大学院に進み、今でも変わらず元気にしているという。そして今でも私の事を気に掛けているとも書かれていた。私の胸は高鳴った。

私はさっそく、招待状の葉書に出席と丸を付けポストに投函した。そしてメールで、結衣のドレスと輝のタキシードの写真を送って欲しいと頼んだ。
数日後、結衣から写真が送られてきた。
結衣のドレスはお腹の赤ちゃんを気遣ってか、柔らかいイタリアンレースを贅沢に使ったエンパイアラインのドレス。輝のタキシードはフロックコートタイプの光沢のあるシルバーグレーのシンプルな物だった。私は仕事の合間を塗ってブーケとブートニアのデザインを考えた。結衣のブーケはエンパイアラインのドレスにも良く合う、ラウンドブーケ。全体的に淡いピンクのバラでまとめ、所々にブルースターを少しあしらって作る事にした。結衣のブーケに合わせて輝のブートニアも同じ花で作る。

招待状の葉書には、出席と丸を付けたが、私は披露宴に出席するつもりはなかった。会場の裏から皆と明彦の元気な姿を一目見られればそれで良かった。
そして私は結衣の結婚式の日を心待ちにした