そんな調子で一週間が過ぎ、あっという間に日曜日がやってきた。
私は朝から落ち着かなかった。この一週間はクラス全体が修学旅行の話題で持ちきりだったが、私は心の何処かで常に父の事を考えていた。
六年振りの父に会うのに、何を着て行こうか散々迷ったが、その日は和明の墓参りもあったので、母から誕生日にプレゼントされたブラウスに黒い薄手のカーディガンを羽織り、同じく黒に細かな花の刺繍が入ったスカートを選んだ。バッグには線香と父から貰ったプゥの入った袋を入れ家を出た。
和明の眠る菩提寺は、明彦の住む緑ヶ丘から程近い場所ということだったので、十時に私と明彦は駅で待ち合わせをしていた。
私は学園前の駅からバスに乗り換え、二十分ほどバスに揺られた。途中の停留所で父と小学生くらいの娘と思われる親子が乗り合わせてきた。緑ヶ丘にハイキングにでも行くのだろう。娘は肩から流行りのキャラクターが描かれた水筒を斜め掛けにし、背には小さな赤いリュックサックを背負っている。父親が娘の手を引き足元に注意払いながら、走り出したバスの中をこちらに向かってやってくる。ちょうど私の斜め前の席に腰を下ろすと、娘とチョコレート菓子を食べながら、窓外を指差し話し始めた。
「ねぇ、パパ見て!菜の花がとってもきれい」
「本当だね。東京じゃあ、こんなに沢山咲いていないからね」
私はふたりの姿に思わず微笑んだ。
窓外に目を移すと親子が言っていた通り、一面に菜の花畑が広がっている。この辺りではこういった景色は決して珍しくない。私も六年前にこちらへ引っ越してきてからは、小学校の遠足で緑ヶ丘にハイキングにきたこともある。

緑ヶ丘の駅に着くと明彦は先にきていた。
「ごめん、遅くなって。待った?」.
「そんなことないよ。俺がたまたま早く着いただけ」
明彦はグレーの綿のセーターにチノパンを履き、手には白百合の花束を持っていた。
「お花、もう買っちゃったの?」
「早く着いたから、あそこの花屋で見てきたよ」
明彦はそう言うと、私の左手を取り歩き出した。
「和君のお墓まではここからどれくらい?」
「ここから、十分くらいだよ。途中、菜の花畑が凄かっただろ」
「うん。小学校六年生の時にね、春の遠足でここにきたことがあるの」
「そうか。俺は初めてここにきた時、あんまり田舎なんでびっくりしたよ。俺はさ、東京の杉並の家から木場に引っ越して、それから親父が亡くなって母さんが今の父親と再婚してから、世田谷の成城に引っ越しただろ。それまでこんな自然の多い所に住んだ事がなかったから、始めは躊躇したよ」
「ねぇ、明彦が転校してきて、初めて土手で会った日のこと憶えている?」
「ああ、憶えているよ。俺が土手に寝っ転がっていたら、突然『僕が僕であるために』を歌う女の子の声がしてさ。そりゃ、びっくりしたよ」
「その割りには自分だって歌ってたじゃない。私のほうがびっくりしたわ」
「そうしたら土手の上から『こんな寒い所でどうしたんですかー?』って、でっかい声が聞こえてきて。今思えばそれが、凛子との二度目の出逢いだったんだな」
私達は菜の花の香りがむせ返る小道をゆっくりと歩いた。
「だって、本当にびっくりしたんだもの。まさかあんな時間に、土手に誰かいるなんて思わないじゃない。鼻歌は聞かれるし、すっぴんだし、もう最悪!って、あの時は思ったわ」
「俺はそんな凛子に目を奪われたよ」
「えっ?」
「思えばあの瞬間、俺は凛子に恋をしたのかもしれない」
「私は緊張して、あの後大変だった。まさか翌日も明彦が現れるなんて、思いもしなかったわ」
菜の花畑の向こうに寺の門が見えてきた。
「私達、ずいぶん遠回りしちゃったわね」
「そうだな。でも凛子の事は、今でも同志だと思ってる。多分この先もずっとな」
「私もよ」
寺に着くと手桶に水を汲み、和明の墓へと向かった。

『山口家之墓』

と書かれた、まだ新しい墓石に私は水を掛け、明彦が私の持ってきた線香にマッチで日を点けた。墓前に白百合の花を手向け、私と明彦は並んで和明の墓に手を合わせた。

墓参りが済むと私達はきた道を戻った。緑ヶ丘の駅前にある小さな喫茶店に入り、少し早めの昼食をとった。私はサンドウィッチを、明彦はナポリタンを注文した。
「ねぇ、明彦に見せたいものがあるの」
「見せたいもの?」
私はバッグの中から例の袋を取り出した。
「これ、前に話したでしょう。あのクリスマスイブの日、クリスマスプレゼントに父が私にくれた物なの」
袋の中からプゥを取り出し、私はテーブルの上に置いた。
「これか、可愛いプードルだな」
「これを人に見せるのは、明彦が初めてよ」
「そんなに大切な物、俺に見せていいのかよ?」
「明彦には見て貰いたかったの。私、小学校の時、犬が欲しくてね、良く父にせがんだわ。父、この犬のこと憶えていると思う?」
「絶対に憶えているさ。今は離れ離れかもしれないけど、血の繋がった親子なんだぞ」
「そうだけど…」
「そんなに心配そうな顔するなよ。絶対に憶えているから」
「うん…」
「電話では何を話したの?」
「元気にしているかって。苦労ばかり掛けてごめんなって、お父さん謝ってた。私、苦労なんて思った事、一度もないのに」
「父親だったらそう思うのが当然だろ。お父さんの気持ちの全てを計り知る事はできないけど、当時は当時で事情があったんだろうし」
「今日、父と会って、一体何を話せばいいのか分からないの…」
「だけど凛子は、会いたいって思ったんだろ?」
「うん。もし今、会わなかったら、もう一生会えない様な気がしたし、父と真正面から向き合わなければ、本当の意味での孤独からは解放されない気がして」
「そうか、良く決心したな。会いたいと思っても、もう会えないって事もあるんだ。だから今日は沢山甘えてこいよ」
明彦はプゥの頭を指で撫で、
「大切にしろよ」
と言うと、袋にしまってくれた。