昼休みは久しぶりに結衣に博美、そして明彦と純也に輝、皆でテーブルを囲んだ。
「ねぇ、ひとつ聞きたいことがあるの」
「何?凛子」
結衣は大きな口にロールパンを頬張っている。
「あのね、渡辺さんてあれからずっと学校にきてないの?」
「うん、そうなんだ。柴田先生と一緒に俺達も何度か家へ行ってみたんだけど、いつも彼女のお母さんが出てくるだけで、本人には会えなかったんだ」
純也が言った。
「女子の間では転校するんじゃないかって、もっぱらの噂だよね、結衣」
「うん。みんなもうこないんじゃないかって言ってる」
「そうなの…心配ね」
「凛子が心配することじゃないよ、あんなに酷いことされたんだから」
相変わらず結衣は、パンを頬張っている。
「はい、これ。あたしもう食べられないから、あげる」
そう言って、博美が自分のロールパンを結衣のトレイに乗せた。
「でも、気になるな…ねぇ、明彦、今日の放課後、一緒に付き合ってくれない?」
「いいけど、俺達じゃ、会ってくれないだろ」
「とにかくこのままじゃ、いけない気がするの。私だけが学校に戻って、渡辺さんがこられないなんて、何かおかしいわよ。みんなが私と明彦を受け入れてくれたように、彼女のこともきっと受け入れてくれる筈だわ。来月には修学旅行もあるのよ。クラス全員揃って行きたいじゃない、高校生活最後の思い出なんだから」
この学園では一年から三年まで一度もクラス替えはない。そして大学受験で忙しくなる前の、三年生になってすぐの四月に修学旅行がある。
「凛子、何だか逞しくなった」
一足先に給食を食べ終えた博美が言った。
「そうかな?ただ、渡辺さんときちんと向き合って、決着を着けたいだけ」
「そうだよな。あんな一件があって、やっぱりこのままなんておかしいよ。俺達、一年の時からずっと一緒にやってきたんだ。渡辺さんだって、本当は戻りたいって思っているんじゃないかな?」
輝はそう言って、腕組みをして椅子にもたれ掛かった。
「じゃあ、あたし達も協力する。ねぇ、博美」
「うん。今日の放課後は何もないし、あたしと結衣が呼びたしてみるっていうのはどう?」
「そうだな。お見舞いにきたってことにして、近くの公園で俺達が待っているから、そこへ彼女を連れてきてくれないか?また何かあるといけないから、純也と輝も一緒に付き合ってくれないか?」
私達はこうして作戦を練ると、午後の授業に戻った。

放課後、私達六人は朋子の家のある駅へと向かった。博美と結衣が彼女の自宅を訪ね、残りの四人は近くの公園のベンチでふたりが朋子を連れてくるのを待った。
「渡辺さん、くるかな?」
輝は先程から気が気ではない様子で、辺りをうろうろしている。
「大丈夫よ。その辺はあのふたりが、きっと上手くやってくれる筈よ」
「凛子は、気持ちの整理、付いているんだよな?」
横で明彦が真剣な声でそう言った。
「うん。心の準備はきちんとできてる」
「小川さん、変わったな。本当に逞しくなったよ」
純也が眼鏡を直しながら私を見た。
公園の入口に三人の姿が見えた。何か話をしている。私達は徐にベンチを立ち上がると、三人のもとへと近付いて行った。
「ちょっと、これどういうこと?あたし帰る!」
朋子は大声を上げて踵を返そうとしたが、両脇を博美と結衣が摑み制止した。
「一体、何のつもり?みんなであたしに仕返しにきたって訳」
朋子が吐き捨てるように言った。
「違うわ。今日はきちんと渡辺さんと決着を付けるためにきたの」
「決着?」
「そうよ」
私はそう言いながら、右手の松葉杖を明彦に手渡した。明彦が不思議そうに私を見た。

“パンッ”

乾いた音が周囲に響いた。
そしてもう一発、朋子の左頬を打った。
「ちょっと、何すんのよ!」
朋子は抑えられていた両腕を振り払い、私に摑み掛かろうとした。
「凛子!」
「小川さん!」
明彦と純也が同時に叫んだ。結衣と博美と輝は呆気に取られている様子だった。
「一発は私の分。そしてもう一発は、美奈子の分よ」
「………」
朋子は左の頬を抑えて黙ったまま、地面に視線を落とした。
「痛いでしょう?でもね、美奈子の心はもっとずっと、私達には想像が付かないくらい痛かった筈だわ」
私は冷静だった。
「いきなり叩いたりしてごめんなさい。でも、渡辺さんならきっと分かってくれると信じてる。あの日、事の発端を作ってしまったのは、私と明彦だわ。けれど、みんなの前で有ること無いことを喋った渡辺さん、あなたにも責任はある筈よ。何故、逃げたりするの?美奈子の死は事故だった。だけど、私達に全く責任がないとは言えないわ。逃げることなんてできないの。ちゃんと受け入れて、一生責任を負って生きて行かなくちゃいけないの」
「………ごめんなさい」
朋子が口を開いた。地面にポタポタと、大粒の涙が落ちた。
「あたしも美奈子と同じ、山口君のことが好きだった。だけど、凛子と山口君が親しそうにしているのを見て、頭にカッと血が上ってしまったの。本当に取り返しのつかないことをしてしまった…」
そう言って、朋子は力なくしゃがみ込んだ。
私は彼女に右手を差し出した。
「渡辺さん、学校に戻ってくれるよね?来月一緒に、みんなで修学旅行に行こう」
朋子は私の差し出した右手を取り、立ち上がった。
「あたしね、あんなことがあって、もう学校へ戻ることなんてできないと思った。柴田先生やみんなが心配して訪ねてきてくれたけど、会わせる顔もなくて…本当にごめんなさい」
「クラスのみんなもきっと受け入れてくれる筈よ。だから、ちゃんと明日から学校へくると約束して」
「そうだよ、朋子。あんたがいなくちゃ、何にも始まらないんだから」
結衣が力強く朋子の肩に手を置いた。
「有難う…みんな」
私は再び彼女の手を取り、固い握手を交わした。

翌朝、私と明彦は土手にいた。
「渡辺さん、今日ちゃんとくるかな?」
「くるわ、必ず。私達、昨日約束したんだもの」
「長かったな、この約一ヶ月…」
「うん。本当に長かった」
「色々あったけど、俺達、これで良かったんだよな」
「分からない。でも、沢山のことを乗り越えて、少し成長できた気がする。私ね、記憶を失って、初めて気付いたことがあるの」
「どんなこと?」
「自分がいかに弱くて狡くて卑怯だったかってこと」
「………」
「あの日、美奈子が屋上から落ちたのを見て、私、そのことから目を背けてた。記憶を失うことで、現実から逃げていたのよ。美奈子が亡くなったのは、自分のせいじゃないって、心の何処かできっと思っていたの。私は、そんな弱くて狡くて卑怯な人間」
「そんなふうに自分を責めるなよ」
「責めてるんじゃないの。私が記憶を取り戻した時、明彦言ったでしょう?現実から目を逸らさずに生きて行くしかないんだって。その時、初めて目が覚めたの」
「そうか」
「私ね、人としてもっと強くなりたい。今はそう思うの」
「うん…」
ふたりはいつものように土手に寝転んだ。
私は、真っ青な空に揺るぎない光を放ち続ける、太陽のような自分になりたいと、その時強く思ったのだった。