日曜日のこの駅は、人通りも少なくとても静かだ。
時計に目をやると、まだ九時を過ぎたばかりだった。少し早く着き過ぎたと思いながら何気なくホームを見ると、今到着したばかりの電車から、凛子が息を切らせながら走ってくる姿が見えた。俺はそんな彼女を微笑ましく眺めた。
オフホワイトのタートルネックのセーターに、紺とグリーンのタータンチェックのスカートを合わせ、白いコートを羽織っている。
「ごめん、待たせちゃった」
改札を抜けてきた凛子は、肩で息をしながらそう言った。
「まだ九時を過ぎたばっかりだけど、遅れてきたら罰ゲームを考えてた」
そんな冗談を口にすると、凛子はふくれっ面で俺を見上げた。すぼめた唇にうっすらと塗られたリップグロスが、妙に艶めかしかった。
「何かいつもと雰囲気が違うね」
「そうかしら?いつもとそんなに変わらないわ」
彼女は顔を赤らめ、そっぽを向いて言った。
「早く行こう!電車がきちゃうわ」
電車の中は思っていたよりも混んでいた。日曜日のせいか、家族連れや行楽客で賑わっていた。
ふたり並んでつり革に掴まり、しばらく電車に揺られた。普段はあまり感じたことがなかったが、こうして並んで立ってみると凛子はずいぶん小さかった。
「明彦ってこんなに大きかったっけ?私、何だか子供みたい」
「普段、ちゃんと並んだことなんてないもんな」
その時、電車が急カーブの所で、突然左に大きく揺れた。バランスを崩した凛子が、俺のコートを掴んだ。身体と身体が重なり合い、驚いた彼女が顔を真っ赤にして、俺を見つめた。
「大丈夫か?」
「ごめん…」

プラネタリウムは学園前駅から四つ先の、緑台駅にあった。学習センターに併設されているプラネタリウムは、予想外に立派な造りで中はゆうに百人は入れるほどのスペースだった。俺達は後方の空いている席に座ると、入り口で貰ったパンフレットに目を通した。
間も無くブザーが鳴り館内が暗くなると、音楽と共にアナウンスが流れた。

「皆様、本日は緑台プラネタリウムにお越しいただき、誠に有難うございます。これから四十五分間、星の世界をゆっくりとお楽しみください」

投影機から星々が映し出され、あちこちから歓声が上がった。
「わぁっ、きれい…」
「あの南の低い位置に見えるのが蠍座だよ。ちょうど蠍の心臓のあたりにある赤い星が、アンタレスっていうんだ」
「本当に蠍の形をしているのね」
「中国では、青龍に見たてて、S字に身体をくねらせた形を、天の龍として思い描いていて、アンタレスを火とか大火という意味でとらえていたんだ」
「ふーん、面白い」
「ギリシャ神話では、狩人オリオンが『この世に自分ほどの強者はいない』と豪語したために、女神ヘラが毒蠍を放ってオリオンを刺し殺させたという話があるんだ。それでオリオンは星座になってからも、蠍座を恐れて蠍座が地平線上に見えている間は決して姿を現さないって言われてるんだよ。これは蠍座とオリオン座が、天球上180度離れていて同時に現れないことを巧みに神話に結びつけたものなんだ」
上映中もアナウンスは続いていたが、凛子はまるで子供のように、俺の説明に聞き入った。

四十五分間の星の旅は、あっという間に終わった。
「プラネタリウムなんて、小学生以来だったから、何だか感動しちゃた。天の川って、本当に川の形をしているのね」
「凛子は天の川、見たことないのか?東京じゃ無理だけど、この辺だったらきっときれいに見えると思うよ。天の川は膨大な恒星の集団なんだ。日本では夏と冬の両方に見えるんだ」
「そうなの、私、夏にしか見られないものなのかと思ってた」
「夏は七夕で有名だからな」
館内を出ると、出口の脇に売店があった。星に関する専門書や星座の絵柄の付いたマグカップなど、様々なものが並んでいた。俺達は人並みをかき分けて中を覗き込んだ。
「ねぇ、明彦、これ可愛い!」
凛子が携帯電話のストラップを指差している。
「明彦って、何座なの?」
「乙女座…」
彼女は途端に吹き出した。
「絶対、笑うと思ったよ、凛子は?」
「私は魚座のA型よ」
「血液型まで聞いてないよ」
「ねぇ、これ、今日の記念にお揃いで買わない?」
「そうだな、初めて凛子と出掛けた記念日だもんな」
俺達はそれぞれの星座をかたどったストラップを買って、その場で携帯電話に付けた。ごく小さなものだったから、クラスメイトに見つかる心配もなさそうだった。
「やっぱり、可愛い!」
「俺にはちょっと可愛いすぎないか?」
「いいじゃない、どうせ乙女座なんだから」
「このー!」
と、言って凛子のショートボブの髪をくしゃくしゃにした。
「花の香りか?」
「えっ?」
「いや、今、いい匂いがしたからさ」
「ああ、それならきっと、私が使っている、バラのジャンプーの香りよ」

外に出るとあまりに眩しく、目が慣れるまでに時間が掛かった。
「凛子、来月、誕生日か」
「うん、そう」
「三月の何日?」
「十六日、明彦は?」
「俺は、九月の十日」
「じゃあ、やっと明彦に追いつくってことね」
凛子は俺がくしゃくしゃにした髪を、撫で付けながら言った。
「なぁ、まだ時間あるし、これから浅草にでも行かないか?」
「浅草?浅草寺ね、行こう!」