「あの……血が出てます。唇も……腕も、足も!」
そう言えば自分が保健室の先生と一緒に来ていたことを思い出し、私は立ち上がった。
「救急箱借りてきます!」

走り出そうとした私の腕を彼がつかんだ。
「やめぇ!バレたら俺ら出場できんなるわ。」

つかまれた腕が、熱く感じた。
ドキドキが止まらない。
「でも、血が……」

彼は顔を歪めるように、笑った。
「こんなん、唾(つば)つけとったら治るわ。いつものことやでな。」

いつも……いつも……殴られたり蹴られたりしてるってこと?
胸の動悸がますます早くなる。

「あ、じゃあ、これ。まだ、開封してへんから綺麗な水です。傷口の土だけでも洗い流します。」
私はもらった水のペットボトルを突き出す。
エコ仕様の柔らかいボトルが私の手の中で変形する。

「あんた、救護の係かなんかか?」

私はペットボトルの蓋を開けて、そっと彼の腕を取り、傷口にかけて土を流した。
「……何の係にもなってません。ただのお手伝いの中学生です。……沁みますか?」

「大丈夫や。……中学生か。頼むし、余計なこと誰にも言わんとってな。」
顔をしかめつつ強がりを言う彼に、私の中にも余裕が生まれた。

「わかりました。誰にも言いません。でも、同じ学校の先輩に、いつもあんな風に虐められはるんですか?」
ハンカチを出して、傷口に触れないように周囲の水分を拭き取って、彼に座ってもらうよう手で指示する。
大人しく足を投げ出して座った彼が、とてもかわいく見えた。

「虐めちがう。しごきの一環やな。先輩らはこれが最後の大会でもう引退やのに、1年の俺がスタメンやから。せやから、俺がミスしたら、まあ、こうなるわな。」

彼の足の擦過傷(さっかしょう)はけっこう大きかったので、土を洗い流すのに水を使い切った。

「でもまだ大会って始まってへんのでしょ?練習やのに?」
ハンカチで水を拭いながらそう聞くと、彼はクッと片頬を上げた。

「大会始まってしもたらそこら中に役員ゴロゴロいるから、簡単に手ぇ出せんわ。……ありがとう、もういいわ。」
そう言って、彼は立ちあがった。

「あ、まだ唇が……」

そう言った私に、彼は照れくさそうに言った。
「それこそ、舐めたら治るわ。自分でやるし、いいわ。じゃ、行くわ。」

……「自分でやるから」の言葉に、私も赤くなる……さすがにそれは、やってあげられない、か……いや、この人の唇なら、してあげてもいいけど……って!

自分の思考に自分自身で驚き、突っ込む私。
彼は、手足をちょっと振って、傷の感触を確認してから、走って行った。

どんどん小さくなる青い背中を、私はただ見ていた。

蝉の鳴き声がやけに大きく聞こえた。