その日、私は寝坊した。
夏休みの気楽さで、つい前夜に夜更かししてしまったのだ。

「由未~。知織(しおり)ちゃんから電話やで~。」
兄が私を呼びに来る。
「なんや、まだ寝てるんか。由未~。起きや~。」

ん~~~~。
「おはよう~。今、何時ぃ?おに~ちゃん、早いね~~~。」
「いや、早くないで。もう10時。」

え!?嘘!
ガバッと、飛び起きる。

「どうしよう!今日は10時に図書館待ち合わせやったのに!」
あたふたする私に、兄は電話の子機を突き出した……私はまだ携帯電話を持たせてもらえてないのだ。

「せやし、知織ちゃんから、電話。図書館に先、入っていいか?って。」

私は兄から子機を渡され、電話に出た。

「もしもし?由未ちゃん?おはよう。」
知織ちゃんの声はいつも通りで、怒ってる様子もなかった。

「ごめん!知織ちゃん!寝坊した!すぐ行くっ!」
受話器に謝りながら、私はバタバタと鞄や洋服を選び、兄を部屋から追い出す。
ハンズフリーにして着替えながら会話を続ける。

「うん、お兄さんに聞いた。急がなくてもいいよ。私、先に図書館に入ってるね。由未ちゃんは、これからやったら、お昼を一緒に食べるつもりで来てくれたらいいし。どうせコンサートは夜やし、ほんまに、ゆっくりでいいしね。」

「わかった!ほな正午に図書館の入口のとこで!ごめんな!待ってて~。」

電話を切って、鞄に持ち物を詰めていると、兄がもう一度入ってきた。
「図書館って岡崎?俺、美術館行くけど、一緒に車、乗るか?」

え!うれしい!
「お兄ちゃん、好き~~~!お願いします~~~。」

「お昼待ち合わせやろ?ほな、11時に出たらええから。」
そう言い置いて、兄は出ていった。

私は少し落ち着いて、教科書や双眼鏡を準備した。

居間に降りると、母と兄がコーヒーを飲んでいた。
「お母さん、おはよう。今日の帰り、迎えにきてもらっていい?」

……現在の我が家には、運転手さんが2名常駐してくださっている……1人は父専属、もう1人は母用なのだが、母に外出予定がない時は兄と私がお願いしてもいい、ということになっている。

たぶんコンサートの終演時間は21時半頃になることを告げると、鷹揚な母はあっさり許してくれた。

「義人も遅いの?迎えに回ってもらう?」

兄は曖昧に笑って、手を振った。
……どうやらデートらしい。

「女の子を泣かすようなことは、あかんよ。」

母は、クッキーをつまみながら、兄に釘をさした。