ヒロインになれない!

「えーと、受験の直前に始めたんで、3ヶ月?」
おじさまはため息をついた。
「それはすごい。いや、羨ましいね。若いから上達も早いんだろうね。由未さんも今のうちに始めるといい。」

また!
勧誘されてる!

私は佐藤くんの手をなるべく自然に振りほどいて、恭兄さまに目で訴えた。
恭兄さまは、微笑みを絶やさずにやんわり断ってくれた。

「ありがとうございます。まずは当家の家職を身に付けてから、ですね。」
しかも、わざわざ私の背中に手を回し、佐藤くんに無言の牽制をしているらしい。

「恭匡(やすまさ)くんはどうだね?そろそろ戻って来たくならないかい?」
へ?
「きょ、……習ってらしたんですか?昔?」
さすがに、人前で「恭兄さま」はダメかしら、とためらった。

「おや、ご存じなかったかね?子方として玄人の舞台にも出たこともあったよね。」 
え!
「からかわないでください。何度か代役を務めさせていただいただけじゃないですか。僕のは子供の習い事でしかありませんよ。」
恭兄さまは、すましてそうおっしゃった。
「いつまで習ってらしたんですか?」
かっこいいやろうな〜、見たいな〜……と、目をキラキラさせて恭兄さまをみつめて聞いてみる。
「中学二年で東京を離れるまでだよ。そんな、期待の目で見ないで。たいしたことないから。」
照れる恭兄さまが、かわいい。

「いやいや。亡き大先生も目をかけてらっしゃいましたよ。ねえ?」
「そうでしたね。お父様もたいそう鼻を高くしてらっしゃいましたね。」
勧誘の鉾先が恭兄さまにかわって、私はこっそり安堵のため息をついた。
斜め後ろにいた佐藤くんには聞こえたらしく、少し笑われたような気がした。


小一時間ほどで、私たちは辞去した。
タクシーの中、恭兄さまの無言が重苦しい。

「……」
「あの、習ってらしたのは、謡いですか?仕舞いですか?」
「……両方。父が道楽で。以前住んでた家は、東京も京都も能舞台があったから。」
「家に!?すごいっ!」
「覚えてない?京都の家には来たでしょ?」
何となくいつもより口調も刺々しい気がする。
「……覚えてへん。広かったし、全部見てへんねん。」
「そう。あなたは案外周囲を見ないよね。佐藤くん?ほんとに今まで気づかなかったの?同じクラスで。僕は、彼が舞台で舞いながらあなたに秋波を送ってるのにすら苛立ったのに。あっさり手まで取られて、ちょっと迂闊なんじゃない?」

私は、いつもと違いすぎる恭兄さまに驚いてしまた。