「なんや?由未ちゃん?どうしはった?」
「あ、あの……恭兄さまは?」

ご当主は、朗らかに笑った。
「恭匡(やすまさ)に、えらい可愛らしい渾名(あだな)付けてくれはってんなあ。ありがとう。これからも仲良ぉしたってな。今日はもう東京に帰ってしもたけど、また、京都にはなんぼでも来るし。よろしゅうな。」

……帰っちゃったんだ。
粽(ちまき)、恭兄さまの分、残しておいたのにな。

もうちょっと遊んでほしかったな……と、私は淋しく感じた。




この年の暮れに、天花寺(てんげいじ)家は、京都と東京に邸宅を新築した。
そして、私が恭兄さまと出会ったあの大きな古い寝殿造りの大邸宅は、父の会社の本社ビルへと変貌した。
御所(京都御苑)に面した閑静な地域に不似合いな立派すぎるビルは、京都という保守的な町では少なからず非難を浴びた。
成金の象徴、のように言われたことも、私は成長してから知った。


幼い私にわかるはずもないが、父は天花寺家に長い年月、援助を続けていたらしい。
先代から当代ご当主に相続の折、莫大な相続税を払い切れなかったご当主から父はあの大邸宅を購入という形で残して、そのまま天花寺の別宅としていたそうだ。
出戻ってきた橘のおばさまが、新しい住まいを欲しがったことがきっかけとなり、父とご当主は不動産の整理と譲渡を決めた。
父は天花寺の名義で、東京の代々木大山公園の東に1軒、京都の北野天満宮の西に1軒の土地を購入し贅を尽くした家を建てたそうだ。
……それまで住んでらした東京のご自宅は借地ということで、引き払われて。
天花寺のご当主は純粋に感謝していたが、これも父にとっては投資だった。


橘のおばさまと百合子姫は、東京には戻らず、新築された京都の邸宅にしばらく住んでらした。

数年後、橘のおばさまは大きな建築会社の社長さんと再婚し、百合子姫ともども引っ越された。
ご当主は、京都と東京を行ったり来たり、気ままに過ごしてらした。

でも恭兄さまは、中学2年生になる時、北海道の進学校に編入した。
幼稚園から通ってらした学校は明治時代に宮内省が華族子弟のために創設した名門校で、偏差値も進学率も高いので、わざわざ他の学校へ編入する理由はわからない。

しかし、恭兄さまは狭き門の編入試験を突破して、全寮制の男子校で、勉強三昧の日々を送ったらしい。

もちろんお正月は東京の邸宅に帰省されたようだが、京都への訪れは途絶えた。