世界が一瞬にして色を失ったような気がした。


う、そだろ……


記憶…喪失……だと…?


驚愕して立ち尽くす俺にまるで興味がないとでもいうように、ふいっと再び外に目を向ける雫。


「ごめんなさい。

 あたし…何も思い出せなくて」


「雫……」



信じられない。


……というより、信じたくなかった。


雫の中で俺の記憶が消えてしまったことと、もうあの笑顔を見せてくれないかもしれない、という可能性を受け入れたくない。


昔から一緒にいた記憶から最近の記憶までなくしてしまった、その事実を受け止めたくないんだ。


「ただ……」


「……?」


「この桜が懐かしいのは…
 なんとなく覚えてるんだ」



そう言ってふっと微笑んだ彼女は儚げで。


思わず見とれてしまうほど綺麗だった。


はらはらと桜の花びらが病室に舞い落ちる。


夏が着々と近づいている暖かな春の日。


世間はこんなにも平和なのに、この部屋だけが異空間のような気がしてならない。


雫を見つめるだけで苦しくなってきて。


耐えきれなくなった俺は、不自然じゃないように雫に声をかけて病室をあとにした。