ほとんどパラダイス

池尻嬢が部屋を出てってから、加倉に言った。
「中絶だって。」

当たらずとも遠からず、か。

「あの特別室、婦人科病棟の奥だったからかな。園田さんも坂本さんも来てたし……もしかして、野田にも中絶とか言ってんじゃねーの、あの女。」

「……中絶なんて今時、日帰りでしょ?まあ、いいけど。お好きにどうぞ、ばかばかしい。」
そう吐き捨てて共有スペースのソファーにどかりと座った。

「まなさん、食事。」
峠くんが、お盆にスープボウルと小さなスプーンを持ってきてくれた。

「え!?すごい!今、作ってくれたの?」

驚いて尋ねると、峠くんは水筒を見せた。

「家で炊いてきたのを温め直した。飲んでみて。」

「ありがとう。いただきます。」

澄んだ琥珀色のスープを一口。
美味しい。
「これ、何?洋風のようで和風っぽくて……不思議な優しい味。すごく美味しい。すんなり喉を通ってくれる。」

峠くんはホッとしたように微笑んだ。
「よかった。『命のスープ』。」

命のスープ?
「何?それ。」

「大将が貸してくれた料理本のレシピ。消化吸収がよくて、昆布が効いてて美味いから、まなさん、吐かなくていいんじゃないかと思って。」

「へえ。……うん。美味しい。」
固形物がないのもありがたい。

「……何か、紫原さんの女王様度が上がってる気がします。」
神開嬢がそう言ってから、少し声をひそめた。
「他のゼミの院生にもあることないこと吹聴されてるので、あまり目立つことはしないほうがいいかもしれません。」

「へえ~。そうなんだ。何だかめんどくさいわね。」
うんざりして、スプーンを置いた。
ソファーにずるずると寝そべって、ため息をついた。
「早く明日にならないかな。ゼミで発散できるのに。」

「おいおいおい。……わざわざ敵作んなよ。」
加倉に呆れられたけど、今の私には活性剤が必要だった。

夕方から峠くんは割烹のアルバイトに行った。
加倉が図書館に行ってる間、私は共同研究室のパソコンで資料のデータ入力をして待っていた。

さすがに体力が落ちてるらしく、まともに座ってることもつらい。
寝転びたい……。
隣のデスクの椅子を引き寄せて、足を投げ出してデスクにもたれてみた。
疲れた……。
うつらうつらしてると、園田氏が声をかけてきた。

「紫原さん!大丈夫!?」
「あ~。こんにちは。へばってます。大丈夫じゃないみたいです。」
「顔色悪いよ。車で来てるから、送ろうか?」

ご自慢のお車、ね。
「ありがとうございます。でも、加倉が送ってくれることになってるので、待ってます。」
「加倉って。あいつ車じゃないだろ?」
それはそうなんだけど。
でも今のこの状態……車までの移動も手を借りなきゃきつい。
園田氏に掴まって歩くのは、かなり抵抗を感じた。

私が答えにつまってると、園田氏は加倉に電話をかけて話を通した。
「加倉、まだかかるみたい。俺が紫原さんを送るって言ったよ。さ、行こうか。……立てる?」

……今までになく強引な園田氏。

「手を貸してもらえますか?」
諦めて、そうお願いした。
園田氏はうれしそうに手を取り、もう片方の手で背中を支えて立たせてくれた。
すぐにふらつく私を、まるで壊れ物を扱うかのように慎重にエスコートしてくれてた。
何か、悪いな。
今まで、ものすごーく冷たくあしらい続けたことを少し反省した。
……弱ってるよなあ、我ながら。