ほとんどパラダイス

たぶん上総(かずさ)んは、私はトイレにでも行ったぐらいしか思わなかっただろう。
でも私は、自由席の空席に座って戻らなかった。

10分ほどして上総んから着信があった。
電車の中で電話に出られるか。
無視してると、メールが届いた。

<ごめん。淋しいから戻って来てほしい。いや、迎えに行く。どこにいる?>

むー。

<いらない。このまま京都で降りて帰る。ご成功をお祈りしています。>

そんな風に送信すると、携帯の電源を落として、ふて寝した。
上総んの依存と甘えを100%受け入れてあげるには、私はあまりにも子供だ。
自覚はしてる。
……振り回されてるなあ。
わざわざ東京まで往復して、この惨めさは何だろう。
最悪だ。
少し距離を置いて、院試と卒論に集中しなきゃ。
それにしても、眠い……。


目を開けると京都駅を告げるアナウンスが流れていた。
慌てて席を立とうとしたけど、予想外の力で後方に体が引っ張られた。
勢い余ってシートに再び座る。

何これ!
新幹線にシートベルトはないはずなのに。
よく見ると、革のベルトが、私のスカートとシートのアームレストとを繋いでいた。
はずそうとしてる間に、新幹線は京都を出発してしまった。
あーあ。

「うー、眠い。楽屋で寝る時間、あるかな。」
隣で寝てたらしい上総んが大きく伸びながらそう言った。

「……最低。」
そう言って、上総んを睨む。

上総んは悲しい顔をした。
「ごめん。また逃げちゃうんじゃないかと思って。」
「逃げるわ。話す気ぃないなら、一緒にいる意味ないやん。心配してついて来て損した。馬鹿馬鹿しい。事情は聞かずに黙ってそばにいてほしい?人形でも置いとけや!」
イライラして言葉が乱れた。

上総んは体をきゅーっと小さく縮めた。
ますます気持ちが荒ぶった。

「何様のつもりか知らんけど、あんたのために自分を殺すとか、尽くすとか、犠牲になるとか、無理やから!」
……何だかんだゆーて、上総んに流されて、増長させてしまった気がする。
これ以上は、ダメだ。

「……うん。そんなの望んでない。むしろ、学美の奔放なところが眩しい。ごめん。冗談じゃなくて、本気で学美と結婚したいんだ。……だから、さっきプロポーズ断られて、ショックで、拗ねた。ほんと、ごめん。」
しょんぼりそう言う上総んは、やたらかわいかった。

……ほだされそう。
ずるいわ、ほんまに。
そんな綺麗な顔で、上目遣いなんて、反則。

「ほな、話して。師匠に、何、言われた?」
やっとベルトをはずすと、上総んの太ももをビシッと鞭のように打ち付けてそう聞いた。

「いてて。……まあ、面白くはないだろうけど、ぼっちゃんの不始末の尻拭いだから、師匠は特に何も言わなかったよ。……俺を受け入れた時に、いつかこうなる覚悟はしてた、ってさ。あと、師匠の目の黒いうちは譲る気ないけど、死後は松竹の采配に任せる、って。」

「奥さんも、同じ意見?」
奥さん、つまり、先代の娘さんで、ぼっちゃんのお母さんで、上総んの異母姉。
この人の意見は無視し得ないだろう。

上総んは、ちょっと顔を歪めると、苦しそうに吐き出した。
「恩知らず、って。」

……。

ひどい。
何?それ。

怒りで涙がボロボロとこぼれ落ちた。